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月の光 1

 向かい合った座席の真ん中に、小さなテーブルがある。窓際に肘をかけ、夜空を見上げる。晴れた日には、遠くの山の上で星たちが輝いているのが見える。皆が眠る時間、午前0時、時には流れ星が花火のように消え去るのが見えることもある。僕の住処はまるで寝台列車のようだ。部屋の中央の通路を挟んで反対側には、カーテンで仕切られた2段ベッドがあり、枕もとには小さな読書灯がある。

 いつものように窓の外を見ていると、今夜の月はとても大きく、ピンク色に輝いていた。突然、空から閃光が走り、ドーンと大きな音が聞こえた。何かの異変だろうか、不思議に思い外へ出てみた。野馬除土手を越えて、嘗て馬の放牧場だった辺り、今では葦の生い茂る湿地になってしまっている原っぱがある。野馬除土手は、高さが2、3mほどで竹を中心とした雑木林がその表面を覆っているため、その内側に立つと、周囲360度を高さ5、6mの城壁で囲われたような感覚になる。他には建物もないため、見渡す限り、空と土手と葦原以外何もない、解放された空間でもあるのだ。

 その原っぱの中央に、ひと際、葦が勢い良く伸びて穂をつけている一角があり、その場所だけがぼんやりと光って見えた。近づくと、こんもりと土が盛り上がり、人形のようなものの顔が見える。苔と泥に覆われて、はっきりとはしないが、大きな目がギョロリと動き、此方を見るのが分かった。

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月の光 2

 ひょっとして生きている人間かもしれないし、死体なのかもしれないとも思ったが、妙な確信が沸いて、人間ではないモノだと思った。

 さらに近づいて、人形の顔から苔と泥を取り除くと、緑色の大きな目が瞬きをして、何かを言いたげに見えた。頭と顔は硝子で出来ているのか、透明だった。

 苦し気な様子に見えるので、身体の全体を土から取り出し、全身を覆っていた、泥を取り除いてみた。全身が、透明で、内部には骨格のようなものが見える。

 しばらくすると、体の中が銀色に光りだし、やがて表面はプラチナのような灰色の金属で覆われ、それがまた柔らかな皮膚に変わっていった。

 体つきは人間そっくりだが、ロボットのようにも見える。ようやく落ち着いたのか、人形が話しかけてきた。人形の名前はモナと言った。

 「箱舟はどうなりましたか?子供は無事ですか?」唐突にモナが尋ねた。

 箱舟とは何のことか、尋ね返すとモナはゆっくりと過去の記憶を語りだした。

 モナは神々の争いから逃れるために、箱舟を作り、そこに生き物や植物の種などを乗せて、海を目指して大河を渡ろうとしていた。

 しかし、モナがいざ箱舟に乗り込もうとしたその時に、幼い子供の泣き声が聞こえた。既に嵐となり、大雨と強風が吹きだしていたのだが、モナはその子供を放っておけず、切れ切れに聞こえる泣き声を頼りに子供を探し、やっとの思いで箱舟に戻ってきた。

 子供を先に箱舟に乗せ、モナも続こうとしたのだが、雷鳴がとどろき、箱舟は大きく傾いた。モナは弾みで、タラップを踏み外し、泥水の中に投げ出されてしまった。モナは箱舟から、どんどん離れてゆきそのまま、濁流にのみこまれてしまったのだ。

月の光 3

 「そうすると、濁流に流されてここに埋まっていたんだね。それはいつ頃のことなの?」

 「分かりません、ちょっと待ってください。」モナは難しい顔をして、考え込んでいるようだった。

 「5万と2、321年前ですね。あぁ、違いますね、もう午前0時を回りましたので、52、322年前ですね。」真顔で、とんでもないことを言う。

 「ええっ、そんなに長い間?その間、一体何をしていたの?」

 「何もしていません。私は、先程貴方に助けて頂くまで、ずっとここに埋まっていたのです。ですから、その間何もしていないのですよ。」モナの話は突拍子もないことに思えたが、噓をついているとも思えなかった。

 やがて、人々の声が聞こえてきた。きっと、あの光と音の原因を確かめに来たのだろう。僕はモナを伴って、僕の列車のような住処に戻ることにした。

 「これが、僕の家だよ。さあ入って。」

 モナは僕の列車ハウスを見て呟いた。「これは、箱舟ですね。」

 「貴方は、いつからここに住んでいるのですか?」モナは眼を大きく見開いて、信じられないというように僕を見た。

 「残念だけどモナ、これは箱舟ではないよ。僕もいつからここに住んでいるのかは覚えていないけど、小さい頃から住んでいるよ。だから、箱舟ではないことは分かる。」

 「そうですか、でも私の知っている箱舟と、とても良く似ています。」

 モナと一緒に列車ハウスのタラップを上がり、家の中へ案内した。

月の光 4

 列車ハウスは、座席とベッドのある車両と、食堂車に別れているが、その間にバスルームがある。最初にシャワーを使うように勧めたが、モナの身体からは、既に泥も苔もきれいになくなっていた。モナの身体は水を使わずに、自力で洗浄することができるようだ。

 食堂車には大きな木製のカウンター付きのテーブルがあり、そのカウンターの向こうでは機械たちが食事を用意したり、食器を洗ったり、様々な仕事をするスペースがある。

 機械たちには顔がなく、おしゃべりもせずに、ただ無造作に仕事を繰り返していた。と言っても、住人は僕一人なので、仕事自体がほとんどないのだが。

 オレンジジュースとパンと水そしてサラダとソーセージとスクランブルエッグを機械に呼びかけると、それらが用意された。普段僕は、自分ではお茶すら用意することがない。それらは全て機械たちがやってくれる。ここへ来た始めから、僕はまるで赤ん坊の様に、ただ受動的に機械に守られた生活をしている。

 「こんなの食べられる?」モナが何を食べるのかわからず、かといって何も用意しないのも可哀そうだと思い、できる限りの用意をしたつもりだった。

 「はい、有難うございます。食事は本当に久しぶりで、嬉しいです。」

 5万年振りなのだから、嬉しいのだろう。こんな朝食のような食事でも、喜んでもらえると僕も嬉しくなった。しかし、僕自身考えてみると、この家で自分以外の人と共に食事をするのは、何年振りだろう。いや、食事どころか、この家で人と会話することすらないのだ。長い間僕は一人だった。

月の光 5

 この家に来た時には、初めのうちは父や母と呼ばれる人が一緒だったような気もする。誰だったのか正確には覚えていないが、機械以外の人間がいたと思う。だからそれは、多分両親だったのだろうと思っている。

 だがすぐにその人たちもいなくなり、僕は機械とともにここで生活していた。その誰かがいなくなったときは、とても寂しかった。不安で、孤独だったと思う。今では、そのような感情も薄れてしまったが。確か、10歳くらいまでは僕にも感情があったと思う。

 しかし、いつの間にかその寂しさは薄れ、憎しみとも怒りともつかない気持ちと、自分で何とかしようという気持ちに変わっていった。誰にも頼ってはいけない、と思っていたのだが、そのうちに誰にも頼りたくない、という気持ちに変わったのだ。だから、この場所に人が来ることはない。誰も呼ぶことがないからだ。

 不思議なことに、モナには何の感情もわかない。人ではないからだろうか。

 人に対しては、不必要な緊張感が生まれる。相手の機嫌を取るか、あるいは無視するか、どのような態度をとるべきか、その都度考えなくてはいけない。

 この家に来る前、確か保育園だったと思うが、初めて集団生活の場に行ったことがある。そこでは、僕は途中から入園したらしく、僕を除いた人々の間である種の社会が既に形成されていたようだ。新参者である僕には、分からないルールがあり、僕はそのルールを覚えることが極度に苦痛だった。

 ゲームをしたり、歌ったり、踊ったり、それら全てが苦痛で、いつも一人で地面に向かって絵をかいたり、何かを作っていたりしていた。
 
 結局そこにはたった一日で、拒否反応が出てしまい、その日以来、蕁麻疹や、腹痛、発熱などという症状を発してしまった。それでも、そこに通うことが自分に課せられた義務なのだと思い、やむなく従っていた。

 この家に来たことでその苦痛からは解放されたのだ。だが、代わりに孤独と不安を覚えることになった。

月の光 6

 食堂で食事を済ませて落ち着いたのか、明るいところで見ると、モナはいつの間にか貫頭衣のような衣服をまとっている。

 「いつの間に服を着たの?」僕は、驚いてモナに尋ねた、しかしモナは微笑を浮かべながら「これは、貴方の着ているような服とは違います。私の皮膚がこのように変形したのですよ。」と、答えた。

 モナの身体は僕とは違っている。始めは硝子の様に透明だったのだが、いつの間にか銀色に輝き、そうかと思えば灰色のプラチナのような皮膚になり、そして今度は洋服をまとったようになる。周囲の状況に合わせ変えられるのだという。カメレオンのようなものか。

 モナは珍しそうに、食堂者の中を見回し、機械たちとも何やらコミュニケーションを取っているようだ。どうやって機械と会話しているのか、僕には全く想像できないが、モナの表情には微笑みがあふれている。気のせいか、機械たちも嬉しそうに音を立てているようだ。賑やかになってきた。

 列車ハウスの部屋を移動し、座席に座って窓の外を見ると、低い雲が地上に降りてきていた。山でよく見る霧雲の様に、かすんでいる。よくみると、その雲の中をピンク色に光る何かが素早く移動しているようにも見える。

 「あの雲の中に、神々が来ていますね。敵なのか、味方なのかわかりませんが。」

 雲は、モナがいた野馬除土手で囲まれた葦原のあたりに降りてきて、同時にホタルのように光る何者かが一斉に雲の中から飛び出してきた。

 ピンク色のホタルたちはやがて、赤や紫、緑などの光を発して、乱舞する。その中で比較的大きな円盤状の何かが急上昇し、そうかと思うと突然反転し急降下する。

 窓をモニターに切り変えて、その葦原のあたりを拡大してみた。円盤のようなものの大きさはせいぜい40~50cmに見える。ホタルたちはもっと小さい。体長1~2cm位か。

 『こんなに小さな虫のようなものが、神々?』内心モナの言葉を疑ったが、モナは真剣な表情でホタルたちを凝視している。

 夥しい数のホタルたちが、地上めがけて突撃を繰り返している。モナのいた辺りは緑色に発色して輝いているが、攻撃によって土が掘り返され、美しかった葦原は無残な姿をさらけだしていた。    

月の光 7

 モナは、月を見ながら、思案しているようだった。月の光を浴びて、頬が少しピンク色に変わっている。頭はまるで大仏様の螺髪のように、髪がくるくると巻いている。

 モナは、きっとまだこの状況が自分でもわからないのだろう。勿論僕には全くわからないのだけれど、それが僕に何か関わってくるとは思えなかった。目の前に、モナという名前の人形がいるのだけれど、それは遠い世界のことなのだ。

 発光したホタルのような者たちは、雲間に隠れて消えていった。あれは、モナに対する攻撃だったのだろうか。それにしては、ただ土を掘り返しただけだったようにも思えるし、おびただしい数の虫たちが集まって飛び回っていただけのようにも思える。

 仮にあれが、神々の攻撃だったとしても、あんなに小さくては侮ってしまう。神々の攻撃というと、やはり何か畏怖すべきものがあるように思ってしまうが、それも見た目に関係するのか。

 例えばあの円盤状のものが、ひどく巨大で空いっぱいに広がるほどの大きさだったら、そこから雷のような巨大な閃光を発していたら、事態は全く違っていただろう。僕は恐怖のあまりに、どうすべきかわからず逃げだす方法を考えていたのかも知れない。

 実際には、驚くほど小さなものたちが暴れているだけで、いざとなれば僕でもなんとか対処できるのではないか、と思えるのだ。ちっぽけな虫のようなものでは、恐れるに足りないということだ。

 モナは、ここに自分がいては危険だと言い、すぐにも出ていくという。

 「モナ、心配することはないよ。いざとなれば、あれくらい、僕が何とか退治してみせるよ。」

 僕は全く根拠のない自信から、そういってモナを引き留めた。どうして、そんなことを言ったのか、自分でも不思議だが、モナに良いところを見せたいのか、それともただ安心させたいのか。相手が人形ではなく、生きている人間ならば、きっとそんなことは言えなかっただろう。

 自分に、誰かを守りたいなどという気持ちがあるとは、全く意外だった。だが、それはまだ人間相手ではない。

月の光 8

 翌日の午後になって、警察が来た。

 「城外開拓区入植地東13-8 入植者番号丁4624号 吾妻春清さん。こちらは城外開拓区警察です。捜査協力をお願いします。」

 「警告、ここでの応答のすべては画像および音声データに記録されます。城外開拓区警察の身分証の提示をお願いします。」

 警察官が身分証を提示すると、機械がそれを確認した。「人民警察城外開拓区所属、中西二郎さんですね。」

 「所有者は不在です。おかえりください。」機械が答えた。

 「ご家族の方はいませんか。奥さんか、息子さんがいませんか。」中西という、30代くらいの若い警官が苛立ちながら、声を荒げる。

 「所有者は不在です。おかえりください。」

 「中を拝見したいので、ドアを開けてください。」中西警察官は怒っているようだ。

 「所有者不在のため、許可されません。おかえりください。」機械が同じ答えを繰り返す。

 「協力できないというのならば、強制的にドアを開けますよ。」中西は、強引にドアに手をかけようとする。

 「裁判所の強制捜査許可証を提示してください。ない場合は許可されません。」

 「どうしますか?斎藤さん」中西が、もう一人の警察官に尋ねた。

 「面倒だ、一旦引き上げよう。」斎藤と呼ばれた、もう一人の警察官がそう言って帰ろうとした。

 「では、外部の写真だけ取っておきますか。」中西がそう言うと、機械が即座に応答した。

 「警告、ここでの許可されていない撮影データは抹消されます。」

 中西は、もう撮っちゃいましたよ、と言いながら、斎藤に写真を見せようとするが、データは既に抹消されていた。

 「なんだこれは、どうなっているんだ?」2人の警察官は、この列車ハウスに何か通常とは違う不信感を抱いた。

 「ここは、おかしいな。何かあるに決まっている。本部に上げて、しっかり捜査すべきだな。」斎藤はそう言いながら、いまいましそうに列車ハウスを睨んだ。

月の光 9

 城外開拓区警察署では、昨日の閃光と音について、マスコミや住民からの問い合わせが相次いでいた。警察署の表にまで、数台のマスコミの車両が待機し、カメラマンやレポーター、その助手などがドリンクボトル片手にうろうろと徘徊し、それを見た2人の警察官は益々不愉快な気分になった。

 「このゴミども、何とかなりませんかねえ。」中西が、さも迷惑そうに呟くと、「言葉に気をつけろ、余計なことを聞かれたら、それでまた大問題だ。」と斎藤がたしなめた。「そうですね、あいつらは問題を起こしてなんぼの連中ですからね。火のないところでも、煙を立てようとするのが生きがいだ。」と中西は収まらない様子で苦々しく吐き捨てた。

 「資料課の柳田を呼べ。」斎藤は、捜査課のデスクに戻ると、すぐにそう言った。中西が、資料課の柳田里美を連れてくると、斎藤は短く刈り上げた白髪頭から染み出る汗ををハンカチで拭いながら、吾妻春清についての家族台帳と、経歴について調べるように指示した。

 吾妻春清は古代地球史の研究者で、大学院を出た後は飛鳥研究所で勤務していた。家族は妻の吾妻千春と、息子の清人の3人だった。現住所に移ったのは13年前、春清が35歳の時だ。妻の千春は宇宙物理学の専門家で、やはり飛鳥研究所で勤務していた。

 中西が腑に落ちない様子でぼやく。「何ですかね、この飛鳥研究所というのは。どうして、古代史家と宇宙研究者が一緒に働いているのですかねえ。」

 「まあ、それも確かに変だが俺にはその辺のことはよくわからないからな。それより気になるのは、息子の清人だ。これを見ると、小学校、中学校とも障害者支援センターで教育を受けていることになっている。現在は18歳のはずだが、学校には通っていないし、かといって職歴もない。もし何らかの障害があるのならば、家にいるはずじゃないのか?

 その場合にはケアワーカーの支援を受けているのじゃないのか。そうでないのならば、どこかの福祉センターに所属しているのが普通だ。どちらにせよ、一人で家にいることは考えにくい。」斎藤は疑わしそうに眉を寄せた。既に犯罪者を追う目つきになっている。

月の光 10

 下総香取の国立航空宇宙研究センターでは、城外開拓区での閃光と音について報告がなされていた。そこで問題になっていたのは、閃光と音の後に確認された、無数のホタルのような発光体と、円盤状の飛行物体だった。
 
 「状況からすると、この無数の飛行物体は何らかの攻撃者ではないかと思われます。」首都警察本部の科学捜査班橋本からの報告だった。
 
 それに対し、航空宇宙センターの乾主席研究員が質問した。「この飛行物体が現れたのは、雲の中からだったという目撃者報告もあるようですが、その雲は自然現象なのですか。それとも、何らかの人為的な物体ですか?」

 「それらもまだ分析中で確認はできていません。」

 「では何も、わからないということですね。しかも、何ら物的な手がかりもない。」

 「少なくとも、現状では化学的な異変は何も残されていないのです。単に、約10m四方の土地が掘り返されただけで、焼け焦げの後も、爆発物の後も、攻撃と呼べるほどの痕跡が何もないのです。」

 「今後の捜査方針はどうなのですか?」

 「衛星画像のデータ解析を急がせています。それと、現場付近の入植者への聞き込みですが、これもまだ確認が取れていませんので、急がせています。」

 「その入植者ですが、報告によると飛鳥研究所の吾妻春清氏となっていますが、間違いありませんか?」

 「はい、そうですが、何かございますか?」

 「いや、ちょっと聞き覚えのある名前だったのでね。それだけの事です。」

 「それでは、引き続き捜査をお願いします。」

 乾英明は、まだ学生だった頃に飛鳥研究所に通っていたことがあった。そこで、吾妻春清を知ったのだ。

 『もしあの吾妻がそこにいたのなら、きっと何が起きたのか、理解したに違いない。』乾はそう思った。

月の光 11

 城外開拓区警察署で、中西が飛鳥研究所での聞き込みの結果を斎藤に報告していた。

 「吾妻夫妻ですけど、飛鳥研究所では現在メソポタミアの方に夫婦で長期出張中とのことでしたよ。日本にいつ帰ってくるのか、予定もはっきりしていないようです。」

 「ということは、所有者が不在というのは本当の事なんだな。息子を残したまま、夫婦で海外出張か。随分いい気なもんだな。旦那の方はまだ分かるとしても、女房の方は、子供が心配じゃないのかぁ?しかも障害を持った子供だぞ。エリート学者の考えることは、俺には全くわからない。で、息子の方はどうなんだ、何かわかったか?」

 「それについては、柳田に調べてもらっています。福祉センターの記録を照会するように言いました。今、呼んできます。」

 中西が、出ていくと、斎藤は飛鳥研究所についての資料をもう一度確認した。『障害を持った子供を日本において、夫婦で海外出張させる、そんなことが本当にあるのか。もしそうだとすれば、この研究所自体が怪しい、ということになる。

 何だか、わからないが、俺の経験からすると、ここには何か表に出せない秘密があるに違いない。』そんな、疑念が益々強まるばかりだった。

 暫くして、中西が柳田里美を伴って、戻ってきた。

 「吾妻清人ですが、彼は現在はどの施設にも通っていません。つまり、どこにも所属していないんです。」

 「じゃあ、いい年をして働きもせず、かといって勉強もしない、福祉の施設にもいかない、ということか。一体何やっているんだ。いくら何でも、暇を持て余して退屈するだろう。ずっと家に閉じこもっているのか?」

 「ですので、それが障害なんだと思います。社会性を持てないのじゃあないでしょうか。多分どこにも、所属不可能な精神的な障害なんだろうと思いますけど。」柳田里美が、斎藤の言葉に反発するように、目をまっすぐに見返して言った。

 「しかし、それは君の憶測だろう。何か、根拠でもあるのか。」斎藤も挑発されたのか、怒気を含んだ言葉で言い返した。

月の光 12

 柳田里美が、調査したところによると、清人はメソポタミアのバビロン市で生まれ、日本には4歳のころに帰国した。日本に来てからは、保育所に預けられた。夫婦共働きの為か、或は、日本社会の集団生活に馴染ませる意味もあったのか、理由は不明である。
 
 「その保育所で彼は、傷害事件を起こしました。何か鋭利なもので数人の子供たちの頭部を、突き刺したらしいのです。ところが、それを直接見た保育士は誰も居ませんでしたし、本人も自分がやったとは言わなかったと言います。

 彼はどこか宙を見るような目つきで、ただ「エンマリシュー」と叫ぶだけだった、と周囲の子供たちの証言があります。保育士たちも、この「エンマリシュー」という言葉は聞いたそうです。けれども、その意味は結局不明のままでした。

 その頃の彼はまだ日本語での会話が不自由だったため、保育士の聞き取りがうまくできていなかったことも推測されます。しかし、この事件を機に、保育所では受け入れを拒否されました。

 保育所と福祉センターの協議の結果、精神の発達状態に障害が認められ、周囲に危害を及ぼす可能性が確認されたとして、彼は一旦は障害者支援センターの管理下に置かれることになりました。

 しかし、両親の申し出により自宅での生活が認められたのです。条件として、自宅でケアロボットを用意し、介護するというものでした。そして一家は、あの城外開拓区に入植したのです。」

 柳田の説明を黙って聞いていた斎藤は「それで、おまえは何が言いたいのだ?」と、まだ納得いかない様子で尋ねた。

月の光 13

 柳田里美は9歳で父を亡くし、それからは福祉センターの管理下で母子家庭支援手当を受け取りながら生活していた為、月に一度の福祉センターの職員の家庭訪問日には、母がいつも緊張しながら対応していたことを覚えている。

 里美自身も、生まれつきの斜視があるためか、学校生活にもなじめなかった。今では、近視のせいもありメガネをかけているが、それでもどこか他人を正視することに気が引け、自信なさそうにおどおどしてしまう。

 里美が、資料課に配属されたのは、警察学校を出てから2年目だった。斎藤は日ごろ乱暴な言葉使いだったが、それが却って特別扱いされずに済むためか、斎藤に対しては、安心して自己主張することができた。

 「私が思うのは、彼はまだ4歳という年齢で、会話も不自由な外国に来たということです。それは、法的には母国かもしれませんが、彼にとっては見知らぬ外国だったのではないのかと思います。

 保育所では、その外国人を受け入れる体制が不十分であったのではないか。そして、彼が起こした事件に対しても調査不足だった可能性が窺えます。確たる証拠もなく、彼は危険であると断定され、一般社会から隔離された様に思えるのです。

 勿論、彼が他の子供たちを傷つけた、ということが事実だったということはあり得ます。ですけど、その場合にも、彼の中で何が起きていたのか、もっと時間をかけて、聞き取る事が必要だったのでは、と思います。
 
 彼が発したという、『エンマリシュー』という言葉一つ解明されずに、彼は、保育所と障害者支援センターによって、たった4歳で危険な精神障害者に作り上げられたのではないか、と思っています。」

 「そうすると、お前は、社会が悪い、と言いたいのか?」

 「社会とまでは言いませんけど、吾妻清人が一方的に非難されるべきだったのか、については疑問に思っています。」

 「ふーん、そうか、だがなお前も政府に仕える役人の一員だ、ということは忘れない方がいい。この社会で大事なことは、第一に秩序の安定を維持することだ。俺たち警察官は、その為に居るのだからな。

 理由は何であれ、秩序を乱すものを取り締まるのが役目だ、そして誰が秩序を乱したのか、それを判断するのは俺たちではない。俺たちは、行政府と、裁判所の命令によって動くだけなのだ。

 だが、まあお前の言い分は分かった。もし、お前が吾妻清人に関して、もっと調査する必要があるというのなら、俺は止めない。勝手に調べればいいさ。」

 里美は、思い切って自己主張したのが、意外にも斎藤に認められたような気がして、嬉しさと気恥ずかしさから少し頬を赤らめていた。

月の光 14

 「ところで、中西、飛鳥研究所だが、やはりお前が言っていたように、何かおかしい様に、俺も思う。だから、そっちをお前が納得いくように調べてみろ。いいな。」
 
 中西は、この2人が対立するのではないか、そうするとまた斎藤の怒鳴り声が響き、自分にとばっちりがかかるのではないか、と心配しながら様子を伺っていたのだが、意外な結果に少しホッとした。

 中西は、斎藤と組んでもう3年になる。かつては、斎藤と言えば『上司に逆らってばかりで、あれと組まされれば出世はあきらめろということだ』という評判だった。

 一方で、たった一度だけだが誘拐事件を解決したことがある。その時も、周囲の声を無視して、独断で犯人を割り出し、単独で犯人のアジトに飛び込んだ。結果的に、子供を救い出したものだから、懲戒免職は免れたものの、上司の怒りは尋常ではなかった。ただの偶然なのか、一部では斎藤の特殊能力だという説もあった。

 殆どがくだらない事件なのだが、確かに、犯人を言い当てることはあったのだ。だが、それでも、何の根拠もなく自説を主張するものだから、評価されるどころか変人扱いされていた。

 そんな斎藤と組むことになった中西は、斎藤とじかに接してみて、やはり頑固な変人だと確信し、出世は早々にあきらめた。が、代わりに上司に気兼ねなく自説を主張する自由を得たのだ。


 警察官が帰った後、モナは機械たちと何やら話し込んでいた。その結果、僕が今まで知らなかったことを教えてくれた。

 まず機械たちには名前があったのだ。料理を作ったり、洗い物をしたりする炊事場の担当はレインという。食事や飲み物を運んでくれたり、ベッドメイクや掃除などをしてくれるのは、マリアという。そして、外部との応答をしたり、列車ハウスの維持管理全般をマザーが引き受けている。

 親代わりとなって、僕に諸々の事を教えてくれたのはマザーだった。マザーは、思考する機械だ。列車ハウスの周囲を常に観察し、どんな小さな変化も見逃さない。快適な環境を維持するために、様々なデータ解析を行い、思考実験を繰り返し問題解決の最適解を導き出す。

 僕などは殆どボーっとしていて、外の景色を見て、ただ何も思わずに時がたつ。美しいと感じたり、変だな、雲行きが怪しい、などと思うこともあるが、大抵は何も思わずに、時がたつ儘に任せている。いつの間にか眠っていることもしばしばだ。

 マザーは、多分僕がここに来た時から、休まずに思考を続け、僕を守っている。問題が何も無いと思える時にも、休まずに監視して、絶えず働いている。絶えず分析し、修正している。そのおかげで、僕は生きてこられたのだろう。ここは、僕にとっては完璧な楽園だ。

月の光 15

 モナと、マザーはこの列車ハウスを、ホタルたちから守るために、策を練ったようだ。ある日、月のない新月の夜、蝙蝠の群れと、ウシガエルやガマガエル、トノサマガエルや青ガエルなど、大小様々なカエルの群れが列車ハウスの周りに集まってきた。

 マザーは、僕の為に戦う道具を用意した。と言っても、それはひとつは、金属製のバットで、もう一つは剣のようなものだ。もしも最後に敵から身を守るために、戦わなければならなくなった時に、動けるのは僕とモナしかいないのだ。

 だが、バットというのは僕は苦手だ。マザーにいつか野球ゲームを教わったことがある。しかし、ストライクとボールの区別をつけるために、全神経を集中しなければならず、結局バットを振った時には、ボールはミットに収まった後だった。シミュレーションゲームではあるが、何とも虚しい。だから、僕が選んだのは剣だった。

 やがて、暗い空に光のカーテンができ、それはまるでオーロラのように揺れながら降りてきた。暗くてよく見えないが、きっとあの低い霧雲もあるのだろう。今度はこの、列車ハウスをめがけて無数のホタルが舞い降りてくる。列車ハウスの周りは、今や色とりどりのホタルの光に照らされ、遊園地のようになっている。

 もしもこれが、神々の攻撃でさえなければ、それは何とも幻想的で夢を見ているような夜だったに違いない。今まで、こんな夜はなかった。辺りは、まるでサーカスのようにアクロバティックな蝙蝠たちの舞と、とても賑やかなカエルたちの大合唱と、変幻自在に色彩が躍る、小さな神々の光に囲まれているのだ。

 だが、戦いの火ぶたは切られた。蝙蝠たちが、ホタルをめがけて旋回し始める。その素早く無軌道な動きは、舞い踊るホタルたちの群れを切り裂き、光が激しく点滅する。ホタルは蝙蝠たちに捕食されているのだ。

 運よく蝙蝠の攻撃をかわし、低く、地上付近にまで降りてきたホタルも今度は、大きな口を開けたウシガエルや、ガマガエルの、長い舌に絡め捕られ、あっという間に飲みこまれてゆく。

月の光 16

 戦いは、一方的に僕たちの勝利のように思えた。夕暮れ時に、時折見かける蝙蝠の飛び交う姿は、悪魔のように気味悪く思えたものだが、神々の光に照らされた今ではとても頼もしく思える。そして、スポットライトを浴びた、ガマガエルのニキビ面も、何とも微笑ましく思えるのだ。
 
 その甘い気分を打ち砕いたのは、あの円盤状の発光体だった。彼らは、突如状の闇の中から現れると。すぐさま急降下し、その光の回転で蝙蝠の身体を弾き飛ばし、鋭い傷を負わせる。蝙蝠たちの隊列は乱れた。キーという悲鳴が耳に残る。断末魔の叫びだろうか。

 円盤は更に、高度を落とし、地上すれすれをかすめるように飛び、そしてガマガエルたちを襲う。切り裂かれるガマガエルの目に、涙のような光の粒が見えた気がした。グエーという大きな声を上げ、真赤な血を噴き上げてカエルたちが倒れてゆく。

 辺りは一瞬にして、凄絶な虐殺の場と化した。それは、僕の心に突き刺さり、怒りを感じるより早く、剣を手にした僕は戦場に飛び出していた。

 「止めろーっ!」怒りが声となって、全身を突き抜けた。光る円盤めがけて渾身の力で、一気に剣を叩きつけた。すると、円盤はあっけなく2つに切り裂かれ、それからまるでスローモーションフイルムでも見るかのように、ゆっくりと無数のホタルとなって崩れ落ちていった。

 これをきっかけに、蝙蝠たちは再び勢いよくホタルへとびかかる。落ちたホタルをカエルたちが、くわえ込む。僕も、一心不乱に円盤めがけて剣をふるい続け、気が付いた時には、僕の両手にも赤い血がこびりついていた。

 ホタルたちは、また空へと引き上げてゆき、ついに戦いは僕たちの勝利で終わったのだ。だからと言って、ホタルたちが、あきらめたとは言い切れないのだが。

 地上に落ちた蝙蝠や傷ついたカエルたちを、拾い集め、葦の湿原に返してやった。モナはこの時、驚くべきその能力を発揮した。たった一人で、土を掘り返し、多くの蝙蝠と、カエルたちの亡骸を埋めてやった。そして、どこから持ってきたのか、野の花を集めて作った花束を手向けてその冥福を祈ったのだ。
 

月の光 17

 翌日は、昨夜の戦いが嘘のように、輝く朝日が湿原と列車ハウスを照らしだし、ただ湿原に葦の穂先が風に揺らぐだけの静かな朝だった。戦いの後は何も残っていなかった。

 マザーは、建築業者を呼んで、列車ハウスの周囲10m四方に柵を張り巡らし、弱い電流を通わせ危険表示板を取り付けた。その工事が終わった午後、今度は、昨夜の騒ぎを何処からか嗅ぎ付けたマスコミの一隊がやってきた。

 彼らは、新しく出来た柵の一角にある門に取り付けられたインターフォン越しに、大声で呼びかけてくる。だが、マザーは一切応答をせず、ひたすら無視を決め込んでいた。彼らは、それでも執拗にチャイムを鳴らし続けた。

 業を煮やした一部の者が、力づくで柵を乗り越えようとして、手をかけた瞬間、何かに弾かれた様に、飛び退いた。電流に当たったのだろう。彼らは、危険表示板に気づき思い通りの取材ができないことを悟ると、引き上げた。

 マザーは、この新たな敵の襲来を予想していたのだろうか。今や、この柵で囲まれた領域が僕たちの守るべき、領土なのだ。そして、敵はこの大勢で、無遠慮に押しかけてくるマスコミなのだ。勿論、ホタルたちとの戦いも終わったわけではないのだが。

 ホタルたちと違って、僕にはこのマスコミの人々が何を求めてきているのかが理解できない、不気味なのだ。彼らが人間だからだろうか。始めは味方のような振りをして、状況次第ですぐに敵に変わる。それが僕の知っている人間だ。

 城外開拓区の警察署でも、マスコミや住民からの問い合わせが増えていた。

  『昨夜、城外開拓区の入植地の一部で、数多くの動物と思われる生き物の悲鳴が聞こえた、と地域の住民からの通報が寄せられました。

 私たちは、現地へと取材に向かいましたが、そこには列車のような箱形の物体があるだけで、その住人からは一切返事がありませんでした。周囲には電柵が張り巡らされ、私達が呼びかけると、その柵に電流が流され、数人の仲間が負傷しました。

 辺りは、古代から続く湿原で、鳥や虫やカエルなどの小動物の楽園となっていましたが、今やこの列車ハウスの為に、動物たちにとっても、危険な地域となってしまいました。このようなことが、開拓地で許されるのでしょうか。一部の入植者による、危険な開拓の実態が明らかになってきました。

 この列車ハウスの住人は、今も私たちの問いかけにい答えようとはしません。現地から大沢美穂がお伝えしました。』

 長い髪をそよ風になびかせて、目鼻立ちの整った美人レポーターが語るニュースをモニターで見ながら、中西がぼやいた。

 「けれど、誰も被害者がいないのだから、俺達にはどうしようもないですよね。」

月の光 18

 状況が変わったのは、マスコミの報道に感化された、環境保護団体や、動物保護団体などの人々の組織したデモ隊が、一団の群衆となって湿原に現れてからだ。

 群衆と言っても、せいぜい百人程だが、それでもこの城外開拓区でこの様に大勢の人間の集団を見るのは初めてだった。

 彼らは、葦原の周囲を探るだけでなく、葦原の湿原の中にも足を踏み入れ、モナの作った戦士たちの墓地をそうと気づかずに、踏み荒らしていった。

 そして、最初にモナを発見した場所、ホタルたちの攻撃を受けて無残に掘り返された辺りにも現れた。彼らは何を思ったのか、そこで気勢を上げシュピレヒコールを叫んだ。

 誰に向かっているのか、多分、環境を破壊する入植者は出ていけ、と僕には聞こえた。僕の住む列車ハウスに向かって叫んでいるのだろう。

 その様なデモの群衆が、数日の間、この湿原にやってきた。そして彼らが隊列を組み、柵の門の前にまで来たある日のこと。突然、蜂の集団のような黒いものが群衆を襲った。

 人々は、その蜂のようなものの攻撃を受けると「ギャー、痛い、痛い、助けてー」などと、口々に大げさな叫び声を上げ、慌てふためいて逃げ帰った。

 報道によると、デモ隊の人々は、頭部に鋭い何かで刺されたような、或は引掻かれたような裂傷を負ったらしい。僕には、関係のないことなのだが、いつの間にか、列車ハウスがその原因であるかのように噂されていた。

 「住民からの苦情が増えていますねえ。でも、これは、自分らには対処の仕様がないでしょう?」中西が、さもお手上げだと言わんばかりに、斎藤の顔を見る。

 「そうなんだがな、警察が何も動かないと言って、本部にも苦情が来ているらしい。」斎藤も、うんざりした様子で、答えた。

 丁度その時、内線のランプが点滅した。「斎藤さん、大和署長がお呼びです。」

 『参ったな』斎藤は、内心では列車ハウスの件だとは思っていたが、敢えて知らないふりをしようと決めた。

 署長室に入ると、斎藤はいつもよりも丁重に、かしこまって尋ねた。「斎藤です。失礼いたします。署長お呼びでしょうか。」

月の光 19

 署長の大和は、少し前に首都警察本部科学捜査班の橋本から、列車ハウスの状況について確認を受けていた。

 「どうやら、本部でも列車ハウスの件が問題になっているようなのだ。君の方からの報告では、列車ハウスには少年が一人で居住していて、直接の連絡は取れなかった、となっているね。確か両親はメソポタミアに出張中と聞いたが、その後の状況はどうなんだ?」

 「今のところ、ご報告できるような進展はありません。」

 「そうか、実は、科学捜査班の方から連絡があって、今回の蜂の騒ぎなのだが、その際に蜂の集団が雲の中から出現したというのだよ。」

 「蜂が雲の中から出てくるというのは、初耳ですね。そんなことがあるのですか?」

 「そんな馬鹿なことはない。つまり、これは蜂のような虫ではないということだ。少なくとも、地球上の虫で、雲の中から出てくるものはいない。」

 斎藤は、署長の話の意図が分からず、キョトンとしてしまった。

 「それは、どういうことなのですか、地球上の虫ではないとすれば、一体なんだというのでしょうか。」

 「うむ、科学捜査班の方では、雲の存在も含めて、今回の件が地球外生命体の可能性があるとみているのだよ。初めに、ホタルの大量発生があっただろう。あのホタルも、今回の蜂同様に雲の中から出現したといわれている。」

 「では、あのホタルも地球外生命体だというのですか?」

 「そうだ、科学捜査班の方ではそう疑っている。と言うのも、この件は既に国立航空宇宙研究センターが調べているのだ。だが、まだ一般には秘密にされている。まずは、列車ハウスの住人とのコンタクトを取るように、との指示なのだよ。」

 「ですが、そんなことが本当にあるのでしょうか。俄かには信じ難い話に思えます。」

 斎藤は、署長に対して失礼だとは思ったが、あまりの話に思わず、疑念を漏らさずにはいられなかった。

 それでも、大和署長は冷静だった。ノンキャリアで署長まで上り詰めた彼は、どんな状況でも本音を漏らさず冷静に対処し、決して上司の命令には逆らわない、というのが信条だった。それは、斎藤のような感情をあらわにする部下に対しても同様だった。

 「今回の事件は、我々の判断できる範囲を超えているのだよ。問題は、これ以上一般人をあの場所に近づけず、穏便に事態を収拾することだ。その為に、あの地域一帯を封鎖する。そして、できる限り早急に、列車ハウスを撤去するのだ。それしか方法はない。」大和署長は、表情も変えずに、列車ハウスの撤去を告げた。

 「撤去ですか・・・。承知しました、やってみます。」とは言ったものの、斎藤には別の心配も生じていた。

 斎藤は、列車ハウスの事を頭に浮かべた。もしかすると、既にあの中に地球外生命体が侵入していて、吾妻清人が危険にさらされているのかも知れない、そう思ったのだ。

月の光 20

 列車ハウスと、その西側にある野馬除け土手に囲まれた葦の湿原との周辺は交通規制が敷かれた。と言ってもここへ来る為の公道は2本しかない。

 その内の1本は、東からきて列車ハウスの北側を掠めて北上していく。もう1本は西からきて野馬除け土手の西側で南へと折れてゆく。ともに検問が置かれ、マスコミやデモ隊が近づくことも許されなくなった。突然の規制にマスコミ各社は反発したのだが、緊急事態の一点張りで詳しい説明はなされなかった。

 大和署長の命を受けた、斎藤は裁判所の許可証を持って列車ハウスに向かった。

 「何だか、話が大袈裟になりましたね。それにしても列車ハウスの撤去なんて、どうやってできるんですか?この裁判所の許可証では、内部の捜査だけですよね。まだ撤去は強制的には出来ませんよ。」
 中西は、事態の展開についていけなかった。署長の撤去命令にも、納得はしていないようだった。
 
 「まあ、言われたことを忠実にやるだけさ。中に入れば、何か新しいことがわかるだろうからな。そうすれば、撤去の理由も見つけられるかもしれない。」

 「それにしても、万一ですよ、中にその地球外生命とかが居たら、どうします?発砲しても良いのですかね?」

 中西も、ありえない話だといいながらも、やはり地球外生命体の事を心配しているようだった。

 「うむ、状況次第だろう。危険だと判断すれば、発砲もやむを得ないさ。だが、一番に注意すべきは吾妻清人の安全だろう。そこも含めて、内部をよく観察する必要がある。」

 現地に近づくにつれ、斎藤も緊張感が増してきていた。何しろ、全く初めての事態なのだ。こんな事を、ただの生活安全課の捜査員が対応してよいのか、という疑問もあるのだ。

 『それにしても、考えてみれば、この事件を俺たちに任せたということは、署長は、そもそも科学捜査班の話など全く信用していない、ということだ。地球外生命体だの存在するはずがないと思っているのだろう。

 冷静で上司に逆らわない、というのは裏を返せば、相手を馬鹿にしているということだ。署長の頭の中では、列車ハウスを撤去して、精神障害者の吾妻清人をどこかの施設に入れてしまえばそれで解決だと思っているのだろう。

 何しろ、両親が見放しているくらいなのだから、事は簡単に運ぶと思っているに違いない。ホタルや蜂の騒ぎも、一般人を遠ざけてしまえば、そのうち収まるに違いない。そもそも、大きな被害などはないのだからな。』

 斎藤は、署長の思惑が読めたような気がしてきた。そうすれば少しは気楽になるかとも思ったのだ、一方でまた別の心配もわいてきた。

月の光 21

 『だが、あの列車ハウスの機械的な対応からすると、簡単に撤去に応じるとはとても思えない。内部に入るのさえ、裁判所の許可証を要求するくらいだ。あれが、ケアロボットなのか、普通の人間よりややこしいのは確かだ。

 大体、何故機械や、宇宙人の相手をしなければならないのだ?人間相手だからこそ、警察官という職業を選んだのだ。人間以外の相手をすると、わかっていれば、選ばなかった。

 選りにも選って、機械と、宇宙人とは。まともな相手がいないじゃないか。もうすぐ定年だというのに、なんでこんな目にあうのだ。』と、終いには恨み言すら口にするようになってしまった。 

 時代遅れの電気自動車で、機動隊の検問の脇を通過し、あとは舗装の無い入植者用の農道を進み列車ハウスの柵の前に止める。

 「これが、危険だという電柵ですか?ただの動物除けの柵にしか見えませんよね。」中西がそう言いながら、列車ハウスの門の前でインターフォンを鳴らし、身分証と裁判所の許可証を提示する。

 暫くすると、門が開き、列車ハウスの入口の前まで徒歩で進んだ。「いよいよですね。」と中西が緊張した面持ちで言う。

 ドアが開き、中へ一歩踏み込むと、そこには緑色の山の模様と、下は白い波の模様の描かれた暖簾がありレストハウスと書かれていた。

 「いらっしゃいませ、レストハウスへようこそ。」と、若い女性の声がする。暖簾をくぐって車内へ入ると、メイド姿の女性がいて、胸に名札を下げている。『ケアワーカー、モナ』と読める。

 『なんだこれは』と内心の動揺を隠して、斎藤が口を開く。「ええっと、こちらに吾妻清人さんはいますか?」

 「はい、ただいま清人お坊ちゃまは、具合が悪くお休みになっていますので、私モナが承ります。どうぞ中へお進みください。」

 モナと名乗る、メイドに案内されて、列車の座席に腰を掛けると、中西も怪訝な顔をする。「どうなってますか、これは?」「分からん。」斎藤は、そっけなく答えた。

 「お飲み物をご用意いたします、こちらがメニューでございます。」とメイドが飲み物を勧めるのだが、それは断った。すると、「かしこまりました。ではこちらをどうぞ。」と麦茶が出された。

月の光 22

 メイドは白いカチューシャに白いエプロン、紺色の制服姿で、短いスカートから白い足がのぞいている。髪は緩くパーマのかかったピンク色のボブヘアで目は緑色をしている。何かのコスプレなのか、吾妻清人の好みなのか。

 中西は、張り出したモナの胸に目を奪われている。斎藤も、予想外のことに言葉を失ってしまった。

 「ええっと、あのモナちゃんはここのメイドさんなのかな。」斎藤は、何とも締まりのない質問をして、自分で恥ずかしくなった。

 「はい、ここで清人お坊ちゃまのお世話をさせていただいています。どうぞごゆっくりなさってください。」

 出された麦茶に口をつけると、ほんのり甘い味がした。何を質問したものか、考えあぐねてしまい、思わず窓の外を見ると、ゆっくりと動いている。不意に列車が加速し、思わず身体が締め付けられた。

 「何だ、列車が動き出したのか?」斎藤が思わず、声を上げた。中西も驚いて、窓の外を見る「そうみたいですね、確かに進んでいますよ、斎藤さん。」

 「ちょっと、モナちゃんこれは、この列車は動いているのか?」斎藤は、そんなことはあり得ないと思いながらも、たまらずモナに尋ねた。

 「いいえ、これはモニターです。列車の旅の気分を味わっていただくために、このような装置になっているんです。」モナはニッコリ微笑んで答えた。

 『しかし、この揺れる感じと、加速度で締め付けられような感覚は、実際に動いているとしか思えない。』斎藤は、モナの説明を聞いても、疑念は消えなかった。

 列車はスピードを増してゆき、遠くに海岸線が見えてくる。更に速度は上がり、遂に窓の外は光で真っ白になった。と、次の瞬間には、急に減速し、どうやら海沿いの山際に到着したようだ。窓の外には海辺の景色が広がり、眼下に緑の島々が点在しているのが見える。

 「ここは、どこに着いたんですか、ずいぶん綺麗なところですよねえ。」

列車が止まり、中西が感動したように尋ねた。

月の光 23

 「ここは、松島です。あの日本三景の一つと言われているところです。お気に召しましたでしょうか。」と相変わらず、ニコニコしながらモナが答えた。

 「でも、この子可愛いですよね、本当に機械なんですか?ケアロボットっていうのはこの子とは別にいるんですかねえ。」中西が小声で、斎藤に話しかける。

斎藤も、「そうだな、俺も変だと思っている。この子はコスプレ衣装を着た人間じゃあないのか?ロボットにしては、この前話した機械の印象とは随分違っているようだ。」と、モナをケアロボットとは思えないでいた。

 「一応車内の様子を見させてもらいます。」漸く、2人の捜査官は落ち着きを取り戻し、本来の職務を思い出した。食堂車と、寝台車、それとバスルームを一通り見て、特に異常はないように思えた。ロボットも他には見つけられなかった。

 「清人さんはどちらにいますか?」

 「只今は、具合が悪く寝台車のカプセルベッドで休んでいます。」

 「そうですか、モナちゃんの他には誰かいませんか?」

 「ここでお世話をしているのは、私だけです。」

 「そうですか、分かりました。では、また清人さんの具合を見て改めて訪問します。」

  斎藤が質問を終えると、中西が唐突に割り込んだ。

 「ところで、モナちゃんは幾つなの?」

 突然に年齢を聞かれたモナは、一瞬焦ってしまった。5万歳と思わず言いそうになったのだが、モナの電子脳内にマザーの『答えないで』というメッセージが響き、何とか踏みとどまった。「申し訳ございません、その質問にはお答え出来ません。」と、どうにか質問をかわすのが精一杯だった。

 斎藤と、中西は捜査という点においてはさしたる成果もなく、引き揚げていった。しかし、疑念はあるものの、モナが気に入ったのか、次の訪問を密かに楽しみにしていた。

 「いやあ、予想とは大違いでしたね。何だか居心地のいい場所でしたよね。」

 「そうだな、吾妻清人本人には会えなかったが、あそこが危険な場所ではない事が分かったのは良かった。」

 「報告はどうしますか?」

 「うむ、まあ、それは適当にだな。本人に会えなかったのだから、報告するほどのことはなかったとするしかないだろう。」

 いつの間にか、夕焼け空になっている。思ったより、長い旅をしたようだ、と斎藤がつぶやいた。

月の光 24

 警察官2人が帰るのをベッドのモニターで見届けて、僕はようやくカプセルベッドから恐る恐る顔を出した。やはりまだ、人間と顔を合わせるのは怖いのだ。

 「モナ、一体これはどうしたの。何だか、喫茶店みたいになっていた様だけど。」

 「ええ、突然裁判所の許可証を提示されたので、大急ぎで対策を立てたのです。ちょっと清人さんには相談する暇がなくて、マザーと相談して決めたのです。」

 「それにしても、何だか、過激な衣装に見えるけど。」

 「5万年前の私の経験からですけど、人類のオスは大体攻撃的なのですが、メスに対しては急に優しくなる傾向があるんです。ですので、マザーと一緒に急遽このような衣装と内装を用意したんです。駄目ですか?」

 「いやあ、そんなことはないけど。ちょっと驚いただけだよ。それにしても、マザーがそのアイデアを許すとは意外だったけどね。」

 あの警察官2人が、あんな風に和やかに帰っていったのは、やはりモナの言う通り、人類のオスの特性なのだろうか。だが、いつもこの作戦が通用するとは思えないが。


 列車ハウスでこんな風に異変が起き、ホタルやマスコミ、警察などを相手に悪戦苦闘している頃、メソポタミアにいる吾妻春清の所にも事態の変化を告げる連絡が届いた。

 「春清さん、飛鳥研究所からメッセージが届いていますよ。ホタルのような発光体が列車ハウスの周辺に出たそうです。警察やマスコミが列車ハウスを調べていると言ってますけど、清人は大丈夫なのかしら。」

 千春が不安そうに、夫の吾妻春清に伝えた。

 「それは、変だ。もし、そんなことが起きているのなら、マザーから何も連絡がないのはおかしい。」

 極めて優秀な知能を持っているマザーは、列車ハウスに起きた異変については、必ず連絡してきていた。それは、一人残した清人の安全確認の為でもあった。だから、今回のような事態を報告しないの今までは考えられないことだったのだ。

 「もしかすると、マザーにも異変が起きているのか?」春清は、困惑気味に顔をしかめた。

 「ねえ、ひょっとすると今解読途中のタブレットに書かれていることが起きているのかしら。」

 千春の言葉に、春清もうなづいた。確かに思い当たることがある。

 タブレットには、この列車ハウスが、神々の争いから逃れるためのシェルターとして作られた、と書かれているように読めた。だが、その争いがどのようなものなのか、具体的には分かっていない。

 「そうか、だが、まだタブレットの解読は完全ではないのだ。今は、まだ何も答えることができない。先ずは、飛鳥研究所と連絡を取ってみるよ。」と、春清はそれだけしか言えなかった。

月の光 25

 吾妻春清は、バビロン国立大学で、古代バビロン市の遺跡発掘調査をしていた。ここでの発掘調査に携わってもう25年になる。今では、普段からアラビア風の白い貫頭衣タウブを身に着けていて、ここでの生活にもすっかり馴染んでいた。

 25年前、飛鳥研究所からの派遣研究員という身分で、国立バビロン大学の考古学研究室の発掘調査に参加したのだが、ビギナーズラックとでも言うのだろうか、それとも『神の手』なのか、最初の発掘で彼は、重要な発見をした。古代バビロン市の遺構から楔形文字のタブレットを発見したのだ。

 「吾妻さん、これは素晴らしい。いきなり、楔形文字のタブレットを発見するなんて、あなたは何とラッキーなのか。神が祝福しているのですよ。」バビロン大学の研究者たちは、吾妻の発見を皆手放しで褒め称えてくれた。

 だが、すぐに問題が起きた。そのタブレットが出た地層が5万年以上前のものと推定されたのだ。そしてそのタブレットには、設計図と思われる図形が記されていて、そのそばには植物の種と思われるものも何種類か残されていた。

 バビロン大学は、当初は学会に発表する予定だったのだが、それを取りやめた。余りにも不自然だと疑われたのだ。何度か調査が繰り返されたが、捏造だという決定的な証拠も出なかった。

 「吾妻さん、大学としては、この発掘調査への協力は今まで通り惜しみません。この研究室の全力を挙げて応援するつもりです。ですが、政府からの予算が減額されてしまいました。今は、これが私たちの出来る限界なのです。」


 研究室の使用は許可されたのだが、スタッフたちは、いつの間にか、現地のアルバイトだけになってしまった。
  

 飛鳥研究所からは、応援のスタッフが派遣された。それが、今は下総香取の国立航空宇宙研究センターで主任研究員を務める乾英明と、後に吾妻の妻となった早乙女千春だった。

 2人は、古代史の研究者ではなく、航空宇宙科学を専門としていたのだが、吾妻の発見したタブレットを解読するには、その知識が必要だと思われたのだ。


 飛鳥研究所は、メキシコやエジプトなど幾つかの古代文明を研究する過程で、奇妙な図形や、描かれた人の姿勢などから、かつて、地球上に航空宇宙科学を有していた古代文明が存在していたと予想していた。
  
 その為、バビロンでの新しいタブレットの解読にも、航空宇宙科学からの知識による解析を用いていた。吾妻の発見したタブレットを箱舟型の宇宙船の設計図であると認識したのだ。
 
 

月の光 26

 乾英明は、古代史についてはよく分からないと思ったが、そのタブレットの図形を見た時には、それが何らかの乗り物を表しているのだと、すぐに思った。

 「このタブレットは、完璧なシュメール語の文法で出来ているのだけれど、これが仮に洪水伝説のような神話だとしても、実際に箱舟の設計図まで示すのはどうしてなのか、わからないのだよ。

 もし、後世の人々の為に記録を残したとしても、それはただ洪水があった、とだけ書けばよいのではないだろうか。或は、洪水を逃れるために、箱舟を作った、でよいのじゃないかと思う。」と吾妻は、乾に現状の疑問点を説明した。

 乾は、違った観点を持っていた。「これは、この文明の後継者に残したものじゃないのかも知れませんね。」

 「どういうこと?後継者じゃないとすると、一体誰に残すのだろう?」

 「例えば、現代でも、他の惑星系の文明に向けて、図表や数式などの数学的なメッセージを発信しています。それは、自分たちと異なる生命体に向けて、共通する言語があるとすれば数学だと考えられるからです。」

 「そうすると、君は、このタブレットが異星人に向けて残されたものだと思うのか?」

 「そこまでは分かりませんが、もしかすると、ダイイングメッセージの様な物なのかも知れません。つまり、この文明は、洪水を生き延びた古代メソポタミアの文明などとは違って、洪水で滅びたのかも知れません。

 この後に、この箱舟を発見するかもしれない、見知らぬ言語を持った人々への、メッセージなのかもしれません。」

 「うむ、でもここで記されているのは、洪水ではないのだよ。神々の争いから逃れるために箱舟を作ったとなっている。」

 「だとしても、同じですよ。原因は兎も角、箱舟を作り逃れようとした。しかも、その箱舟の図形まで残しているということは、その箱舟そのものが重要なのかもしれません。」

 「そうか、今はまだ解読されていないタブレットが多いけど、その解読を進めるためには、まず箱舟を作ってみないと、先へ進めないと、そう言いたいのだね。」

 「ええ、その通りですよ。箱舟を作りましょう。」

 こうして、乾の提案を受け入れ、吾妻たちは箱舟、つまり箱舟型の宇宙船を作る作業に取り掛かった。

月の光 27


 箱舟を作るといっても、既に捏造の疑いをかけられ、予算も削られた状態では、本格的なものは望めなかった。あくまでも、タブレットの解読を進めるための模擬的なものに過ぎなかった。

 最も困ったことは、設計図の基本となる長さや重さの単位を確定することと、それを現代社会での実際の度量衡の単位に変換することだった。

 それを、乾は実際の長さや重さが分からなくても、立方体の各辺のおおよその比率を当てはめることで、箱舟は作れると主張した。

 材質も分からないのだから、重さも分からなくても仕方がない。様々な条件を検討し、最終的には経済的な観点から決められたのが、メソポタミア政府の鉄道省から、廃止になった古い車両を払い下げてもらうことだった。

 2両編成の小さな旧式の電気鉄道列車が、箱舟の原型となった。
 「これが手に入っただけでも、大躍進ですね。吾妻さん。」と乾は大喜びだった。

 実際これは、この列車ハウスは乾の発案と粘りがなければとても、実現することではなかった。だから、列車ハウスの本当の生みの親は乾なのだ、と吾妻は考えていた。

 設計図を見ながら、多少手を加えることもあったが、外観は概ねそのままの状態で使うことができたのだが、問題は、内部の複雑な構造だった。いくら楔形文字を解読しようとしても、わからなかった。

 そして3か月ほど経過したある日、タブレットと一緒に発掘され列車ハウスの中に保管していた植物の種が発芽した。光や、空気中の水蒸気などに反応したのだろうか。発芽は全くの予想外の事だった。

 列車ハウスの中で発芽した植物は、順調に成長し、やがて列車ハウスの内部で美しい花を咲かせるほどになった。そして、その植物がどのような実を結ぶのか。乾も楽しみにしていたのだが、既に半年が経過し、乾は就職の為に日本に帰国することになった。

 「成果を見ずに帰国するのは残念ですが、吾妻さんの研究が成功するのを楽しみにしています。」乾はこの後、国立航空宇宙研究センターの採用試験にパスした。

 乾が帰国した後で、植物はさらに成長し、実から落ちた種がさらに多くの植物を生み出した。やがてそれは、蔓のように列車ハウスの内部を縦横無尽に埋め尽くし、さらに複雑な構造へと変化していった。

月の光 28

 余りに、繁殖した植物を、何度か処分しようとも考えたのだが、切っても切っても増え続け、遂には全ての内壁を埋め尽くしてしまった。だが、その姿は、とても美しいのだ。色とりどりの花が咲き乱れ、蔦や枝葉は、緑の宝石のように瑞々しく輝いていた。

 「吾妻さん、この植物達は、何と美しいのでしょう。まるで、ここは楽園になったみたいです。」

 早乙女千春は、初めのうち、この植物の成長を、その美しさをとても喜んでいたように見えた。

 しかし、更なる異変が起きた。ある日一つの花が、備え付けてあった食堂車の棚の中に侵入し、そこで実を結んだ。そしてその実から硝子のコップが生まれたのだ。それを皮切りに、食堂車の花々は、様々な道具、スプーンやフォークやカップと言ったものに姿を変えていった。

 食堂車の植物の花から生まれた実は、キッチンやレンジ、オーブンなどとなり、寝台車では、ベッドのカバーやシーツに変化し、また樹木たちは、バスルームや、トイレと言った新たな物を生み出していった。様々な装置や座席となって列車ハウスの内部を完全に覆いつくし、一つの新しい世界を生み出したのだ。

 それは、もはや植物でないことは明らかだった。むしろ、自ら成長し、分裂し生成する機械だった。出来上がったものは、一見すると、豪華な列車のようでもあり、その完璧な構造からは核シェルターのようでもあった。

 ここに至って、吾妻もようやく事態を理解し始めた。少なくとも、バビロン国立大学には秘密にしなければならないと思ったのだ。そうでなければ、この研究は中止され、管理は国防当局に移される可能性が考えられた。これは、吾妻には、5万年以上前の古代文明が蘇ってきている、そう思えたのだ。

 吾妻にとっては、まだこの事態は、研究を止めるほどではなかった。問題は、早乙女千春だった。彼女の驚きは一通りではなかった。

 早乙女千春は、大学のゼミで乾の後輩だった。その能力を乾に認められ、飛鳥研究所から応援の依頼があった時に、乾は早乙女を推薦したのだ。

 千春にとっては、バビロンでの研究は、乾なしには考えられないことだった。ところが、その乾が先に帰国してしまい、一人残された千春には、ただでさえ今後のバビロンでの研究に不安があった。そこに、このような事態が起ったのだ。

 「吾妻さん、この植物たちは、とても私には理解できません。すぐに飛鳥研究所に報告してください。できれば私は、この研究は中止した方がよいのではと思っています。」

 初めはその美しさを褒め称えていた千春だったが、今では不安のあまり、研究の中止を吾妻に訴えるようになった。

月の光 29

 吾妻は、早乙女千春の訴えに対して、情熱をもって反論した。

 「いや、ここでこの研究を中止することは出来ないよ。今起きていることは、確かに予想をはるかに超えることだ。それは認める。しかし、これは乾が言った通り、この文明を作った人々のメッセージかも知れないのだ。

 この、列車ハウスは確かに箱舟なのだよ。よく見てごらん、ここでは外部の助けなしに、生活することが可能なのだ。この植物たちは、まるで現代の僕らの生活を知っているかのようだ。食堂に備えられた道具や、食料もある。バスルーム、も、ベッドルーム、シャワーも皆そうだ。

 これは、僕らにとってのシェルターとして機能しているのだよ。それが何故なのか、それを見極める必要がある。確かに、気味の悪い事態ではあるけれど、少なくとも僕らにとっては快適な環境が創られたのだと思う。」
 
 吾妻は、この事態をむしろ歓迎していた。メソポタミア文明に先行する、全く新しい異質な文明を発見したような気になったのだ。飛鳥研究所には報告した。

 飛鳥研究所でも事態が容易ならざる事だと認識はしたが、やはり研究の続行を望んだ。成功すれば、画期的な研究になる可能性があり、メソポタミア文明以来の地球文明史を大きく書き換えることができる、と前のめりになったのだ。

 千春は、吾妻の真剣な説得に加え、飛鳥研究所からも残って研究を手伝うように依頼された。それを拒否するほどの強い意志も持てずに従った。

 だが、秘密を共有することで、不安が消えたわけではなかった。むしろ、尊敬する乾に対しても、後ろめたい感情を持ってしまったのだ。

 精神に不安を抱えた千春に、夜ごと夢の中で話しかけるものがあった。それは毎夜、同じ夢で、列車ハウスの植物達が笑って話しかけてくるように思えたのだ。

 「吾妻さん、実は、私、毎晩同じ夢を見るのです。」

 「どんな夢?」

 「この箱舟の植物たちが、何かを話しかけてくる夢なんです。なんだかとても怖い気がするのです。」

 「あぁ、実は僕も同じような夢を見ている。この花がにこりと微笑みかけてくるのだけど、でも、僕にはそれが花たちが僕らを祝福しているように思えるのだよ。」

 千春は、2人が同じ夢を見ていることも、不思議だったが、それを全く違った風に解釈する吾妻に驚いた。

月の光 30

 「祝福ですか?」と尋ねる千春に、吾妻が静かに答えた。

 「そう、それで考えて見たのだ。この花たちは、美しく咲いているのは何故なのか。それは、君が毎日花たちを見て、美しいといったからじゃないのか、褒め称えたからじゃないのかと。

 だから、この花たちは、むしろ君の為に美しく咲いているのじゃないか、と思う。」

 「あの入口のドアを飾るバラのような花。」

 吾妻がそう言うと、入り口のドアが赤や白、黄色などの色とりどりの、バラのような花たちのアーチで飾られた。

 「そして、列車の窓を飾る、花。」

 すると、窓の枠が薄いベージュ色の花で縁取りされた。

 「この花たちは、みんな君を飾る為に咲いているようだ。」

 そうすると、千春の全身が、花々で覆われ、花たちは、ふかふかのベッドのようになり、千春の身体を包み込む。

 吾妻の言葉は次第に熱を帯びてきた。

 「実をいうと、僕は乾に嫉妬していたのだ。この列車ハウスを作ったのは乾で、その中の植物を育てたのは君ではないかと思っていた。これを作った君と乾に嫉妬していたのだよ。」

 『嫉妬?』という吾妻の言葉が、千春の心に引っ掛かった。

 「でもね、僕は、気が付いたのだよ。僕は初めから、君を愛していたのだと。乾への嫉妬は、そのせいだったのだ。乾と君が親しくしていることが、苦しかったのだと。」

 『私を愛している?』吾妻の唐突な告白に、千春は驚いた。

 「初めて、君がここに来た日に、実は僕は激しいショックを受けたのだよ。何故だかわからなかったけど、目の前にいる、君の姿がまるでフラッシュを浴びたように何度も激しく点滅したのだ。

 それ以来、僕の頭に君の微笑む姿が焼き付いて離れなかった。自分でもどうなっているのか分からず、苦しかったのだよ。」

 「でも乾がいなくなってから、この植物たちが、花を咲かせ、この箱舟を作り変えていった。この花をこんな風に育てたのは、僕と君だ。そう思うと、何故だか君がとても愛おしく思えた、それで、気が付いたのだ、君を愛していたのだと。

 この箱舟は、僕と君の為に、こんな風に形を変えたのだと思っている。今では、僕たち2人がこの箱舟の主人なのではないかと思っている。その証拠に、こんな風に、僕の言葉通りに花たちは動き出すのだから。」

 千春は、吾妻の言葉が不思議に思えたのだが、確かに花は、吾妻の言う通りに動く。

 「僕は、この箱舟は、僕たちが見つけるのを待っていたのではないかと思っている。この花たちは、僕達2人が結ばれるのを祝福しているのだよ。きっと、結ばれることを待っているのだと思う。」


月の光 31

 千春には、吾妻の気持ちは突然すぎるような気がした。確かに、ここにきてもう1年になる。乾がいなくなってからも、半年を過ぎ、2人で過ごした時間が長くなり、親密さも増したのかもしれない。

 だけど、愛情というには早い。そんな風には千春は思っていなかったし、吾妻も恋愛感情を口にすることはなかった。それが、どうしてなのか、急に愛情を告白されて、動揺した。
 
 「吾妻さんのお気持ちは、嬉しいのですが、でもまだ私は、恋愛感情にはなれないのです。

 それに、植物たちが何か、自分の意志を持って、生きているように思え、花たちが本当は何を伝えたいのかも分からないので、それが不安なのです。」

 「君は、まだそうなのかも知れないね。でもね、僕はいずれ君が、僕を愛してくれると思っているよ、それが僕たちの運命なのだよ。僕には、もうそれが定められた事のように見えるのだよ。」

 吾妻は、まるで何かを見てきたかのように、強い確信をもって断言した。

 その日から、日ごと、夜ごとに愛の言葉をかけられ、初めのうちは言葉だけだったのが、そのうちに髪をなでられ、肩を抱かれるようになり、身体の触れ合いとともに千春の心も揺れ動き、いつの間にか、吾妻を男性として意識するようになり、やがて愛情も芽生えてきた。

 吾妻と結婚した千春だが、それでも、一抹の不安があった。それは、夢に出てくる花たちだ。夢の中で、花で作られたベッドの中にいるのだが、ある時、ひときわ大きな花が、まるで生きている人のように、現れ、千春を抱きしめる。その夢は、余りに艶めかしく、吾妻に伝えることはできなかった。
 
 それから、暫くして清人が誕生した。それは、吾妻の子であるはずだが、千春には何故だか喜ぶ気になれなかった。吾妻の話では、自分たちが、この植物たちの主人だというのだが、千春から見ると、むしろ植物たちの為に、2人が結婚したように思えて仕方がない。

 清人は、花の子供のような気がしているのだ。だが、それを吾妻に話すことはできず、一人で心に不安を抱えたままだった。

月の光 32

 城外開拓区警察署の斎藤と、中西が、列車ハウスを何度か尋ねたが、事態は相変わらず進展しなかった。

 「このままずっと、清人って子には会えないままですかねえ。それはまずいですよね。」

 中西が、困り果てた様子で、ぼやく。

 「ああ、さすがの大和署長もいい加減苛立ってきている。首都圏警察本部の橋本って奴からせっつかれているらしい。」

 「どうします。何か良い打開策はありますか?」

 「いよいよ、切り札を使うしかないな。」

 「何ですか、それ。そんなのが、あるんですか?」

 「ああ、吾妻清人はもう18才だろう。どんなに、ひきこもっていたとしても、男性としての成長はしているだろう。色仕掛けだよ。」

 「えっ、色仕掛け?て、誰を使うんです?」

 斎藤の意外な言葉に、中西も興味を持った。

 「決まってるだろう。里美だよ。あいつしかいないだろう。」

 斎藤は、当然だと言わんばかりに里美の名前を挙げたのだが、中西はがっかりした。一瞬期待を持っただけに、その反動が大きい。

 「いや、斎藤さん、いくら何でも、それは。柳田里美ですよねえ。色仕掛けになりますかあ?」

 「大丈夫。吾妻清人は、何しろ、人間の女性を知らないのだから。あの、モナの恰好を見てみろ。あれが、清人の好みなんだよ。だけど、小さい頃から、あれしか見ていないから、感覚がマヒしているに違いない。

 里美には、逆に知性的なメガネ美人の格好をさせれば、興味を持って、ベッドから飛び出してくるはずだ。」

「そんなにうまく行きますかね。」

 中西は半信半疑だった。どう見ても。モナの方が魅力的に思えた。子供のころから、モナを見慣れているとすれば、例え贔屓目に見たとしても、里美では役不足に思えたのだ。


 3人は、列車ハウスの門の前で、挨拶をした。斎藤と、中西は、いつもの通りの、少しくたびれたジャケットに折り目のはっきりしないズボンといった出で立ち。

 柳田里美は肩まである髪を、後ろでひとまとめにし、制服制帽を身に着け、メガネをかけている。少しでも、知性的に見せるつもりが、かえって、どんくさく見えてしまう。だが、生真面目な誠実さはうかがえた。

月の光 33

 「初めまして、柳田里美です。私は、城外開拓区警察署の一署員に過ぎないのですが、ここで何が起きたのかを調べるために、ご家族の記録を調べさせて頂きました。吾妻春清さんの論文も読みました。

 そして、不思議なことに気が付いたのです。清人さんは、バビロンで4歳まで育ったと聞いています。ところが、日本に帰国されてから、保育所で起きた事件の為に、精神に障害あると一方的に判断されて、現在は福祉のお世話になっているとお聞きしました。

 その事件についてなのですが、子供たちが、頭に鋭い傷を受けて、それが清人さんによるものだと、されたのですが、でもそれを見た保育士はいなかった。そして、清人さんはその時、エンマリシューと叫んだ。記録ではそうなっていました。

 それで、これは私の想像なのですがエンマリシューとは、バビロニア神話のエヌマエリシュの事ではないのか?もしそうだとすれば、エヌマエリシュの意味は、バビロニア語で『その上に』という意味でした。

 その時、子供たちの上に何かがいたのではないのか、清人さんはその危険を知らせようとしていたのではないのか?そう思えたのです。

 それから、これは、最近ここで起きた、騒ぎの事です。蜂のような虫が空から飛んできて、デモ隊の人々を襲ったと言われています。人々は、頭に、鋭い傷を負ったと言います。

 ひょっとすると、これは清人さんが保育所で見たものではないのか、そんな疑問が浮かんだのです。

 だとすると、清人さんは、精神に障害があるわけでも、人々に危険をもたらしたわけでもなく、むしろほかの子供たちに危険を知らせようとした、にも拘わらず一方的に排除されたのではないか、そんな風に思えたのです。」
 
 里美は真剣に訴えた、マザーもモナも黙って聞いていた。清人も、ベッドの中で耳をそばだてていた。

 里美の話はまだ続いた。

 「私は、清人さんと話がしたいのです。いえ、清人さんの話を聞きたいと思っているのです。本当は、言いたいことがあったのに、誰も聞いてくれなかった、もしそうなら、私が聞いてみたいと思っています。」 

 モナがベッドの中にいる清人の方を、ちらっと見るが、まだ清人は出てこない。

月の光 34

 「それと、これは吾妻春清さんの、論文を読んで思ったことですが・・・」

 門の前で直立不動の姿勢のまま、興奮気味に話を続けようする里美を見て、思わず斎藤が「ダメだ、こりゃ一人で夢中になっているな。」と、里美の肩に手を置いた。

 「今まで、人とまともに話したことがないから、ちょっと舞い上がっちゃってますね。」と中西もあきれ顔になった。

2人に制止されて、ようやく里美も我に返ったのか、話すのをやめて斎藤の顔を不安そうに窺った。

 「私、何かいけなかったでしょうか?」里美がそう聞くと、「いけなくはないが、ただ話が長すぎる。まずは挨拶を済ませたら、中に入れてもらえるのか、確認すべきだったな。」と斎藤が諭した。

 「モナちゃん、まあ、里美としては、清人君のことが心配で、こんなことを話したんだ。悪気はないので、許してやってくれ。それで、中に入れてもらえるかな。」

 「はい、只今、開けますので、どうぞお入りください。」モナは明るく返事をして、3人を中に通した。

 「清人さん、里美は良さそうな方ですよ。他の方たちも、見かけより優しい方ですので、会ってみても大丈夫だと思いますよ。」

 列車ハウスの中では、清人もモナやマザーに諭されて、ベッドから出てきて、話を聞く準備をした。

 「改めまして、柳田里美と申します。先ほどは失礼をいたしました。」里美が改めて、挨拶をすると、「初めまして、吾妻清人です。宜しくお願いします。」と清人も、慣れない挨拶をした。

 「何だか、お見合いみたいですね。」と中西が2人を冷やかすと、「止めろ、お前は余計なことを言うんじゃない。清人君に失礼だろう。」と斎藤が中西を諫めたのだが、里美も清人も顔を真っ赤にして、硬直してしまった。

 里美は、初めて見る列車ハウスの中を、不安そうにキョロキョロ見回していたのだが、モナが、里美を座席に座らせ紅茶とケーキを勧めると、里美も、少し緊張がほぐれた。

 「モナさんは、ずっとここで清人さんの介護をしていらっしゃるんですか?」と、里美は、モナのメイド姿を興味深そうに見ながら、尋ねた。

  そして、モナの大きな胸や、短いスカートから除く白い足を見て、自分の制服姿とは随分違うものだと、少し引け目を覚えた。
 

月の光 35

 モナは、里美の質問に適当に話を合わせながら答えていた。つい最近まで、5万年も土の下にいたとは気づかれないように。もっとも、そんな話をしたところで信じられるはずもないので、心配する必要はなかったのだが。

 「清人さん、先ほどの話に戻りますけど、保育所での事ですが、本当は何が起きたのですか。良かったら話して頂けますか?」と、里美に尋ねられたのだが、正直なところ清人自身ももう覚えていない。

 「スミマセン、僕も、その頃何が起きたのかよく覚えていないのです。ただ、その後の事だろうと思いますが、すごく不愉快な気分になったことは覚えています。

 保育所のみんなが、僕を取り囲み、攻め立てられたような、不安な気分になりました。その頃を思い出すと、不安な気持ちと、怒りが同時にこみあげてきて、心が破裂しそうになるのです。

 だから、思い出したくないのです。」清人は、とても苦しそうに、話した。

 「いやな事を思い出させて、ごめんなさい。もう、この話はやめますね。」里美は、性急だったのだと後悔した。

 「それでは、ここ最近の事ですが、この近くの葦原で、ホタルが出たり、動物の声が聞こえたり、あるいは蜂が出たり、と異変が続いていますけど、そのことについて何かご存知なことがあれば、お話し頂けますか。」

 里美は、話題を変えて、マスコミで問題になっている怪現象について尋ねた。

 だが、清人はこれについても、本当のことは隠した。

 「はい、それについては、マスコミの方が来たりして、騒がしくなっているのは分かっています。でも、僕はこの通り、ここから外には出ないので、詳しいことは何も、知らないのです。」

 まだ、里美を信頼できるかどうかわからないのと、仮に信頼できたとしても、自分の話す内容が受け入れられるとは思えなかったからだ。

 それでも、里美の態度や話し方から、清人を尊重していることが伝わってきた。もっと、親しくなりたい、と清人にとっては初めて経験する不思議な感情が芽生えた。

月の光 36

 その後、話は特に進展することもなかったが、里美がモナとも気軽に話ができるようになり、清人とも対面することができたのは収穫だった、と斎藤は一歩前進したと喜んだ。 

 「それじゃあ、今日の所は、これで失礼します。清人君有難う、また、話ができるようになったら聞かせてください。」
 
 斎藤がそう挨拶して、3人は列車ハウスを出ていった。すると、空に黒みがかった灰色の雲が漂い始め、見る見るうちに大きくなった。

 清人が、危ない、と叫ぶと殆ど同時に、蜂のようなものの集団が雲から飛び出してきた。それは、斎藤たちの頭上を飛び交い、次々に、頭を刺したように見えた。

 「痛い、蜂だ。」と3人は悲鳴を上げる。

 それを、見て清人は列車ハウスの表に飛び出した。助けたいという一心だったが、何の準備もない。すると、列車ハウスのドアを飾っていた花が、するすると枝葉を伸ばし、3人を守るように覆いを作り、やがてすっぽりと囲い、ドアから続くアーケードとなった。

 3人は、そのアーケードの中で、茫然として、暫く言葉も出なかった。清人は、走って列車ハウスの中に飛び込んだ。

 『見られてはいけないものを見せてしまった。これで、せっかく親しくなったのに、また嫌われてしまう。』そう、思って後悔していた。

 斎藤と、中西は顔を見合わせた。

 「中西、これは一体なんだ?」
 
 「いやあ、自分にも、さっぱり分かりませんが。」

 「今、花から枝が突然伸びてきたよな?」

 「はい、確かに枝葉が伸びてきました。そしてこのアーケードになりました。」

 口々に、言い合うが、事態は呑み込めなかった。

 里美は、清人の後を追って、列車ハウスの中に飛び込んだ。

 清人が、ベッドの中に隠れようとするのを、手を掴んで引き留めた。

 「今、清人君が助けてくれたのよね。そうだよね。ありがとう。助けてくれて、ありがとう。」

 里美が、清人の手を掴んだままそう言うと、清人もベッドに逃げ込むのをやめて、里美の顔を見た。

 「どうやって、助けてくれたのか、今何が起きたのか、教えてくれるかな?」里美は、やさしい口調で清人に尋ねた。

月の光 37

 斎藤と中西も、アーケードを作った植物に警戒しながら列車ハウスの中に戻ってきた。

 「モナちゃん、今植物たちが突然動き出して、俺たちを囲みこんだようだけど、あれはどういう事なのか、説明してもらえるかな?」 斎藤も、里美と同じ質問をした。

 モナが、清人の様子を心配そうに見ている。

 それを察した、斎藤が「清人君、怖がらないでくれ。俺たちは、ちょっとびっくりしただけで、何も君を責めるつもりはない。君が俺たちを助けようとしてくれたのも分かっているよ。」と清人に話しかけた。

 「いやあ、実際に蜂の集団が飛び出てきて、怖かったんだよ。そうしたら、今度は突然木の枝や葉っぱが、伸びてきて、俺たちを取り囲むもんだからさ、びっくりしちゃったけどね。

でもさ、おかげで蜂に刺されずに済んだから。ほんと、助かったんだよ。有難う清人君。」中西も、その場の様子を見て、少し落ち着きを取り戻したように話した。
 
 「清人君、私達は、みんな君に助けてもらって喜んでいるの。君ってすごいなあって、ほんとにそう思っているのよ。」里美もそう言って清人をほめる。

 「そうなんだよ、清人君、だから、少しだけ、どうやって助けてくれたのか教えてほしいんだよ。」斎藤もまた、清人をほめ、どうやって助けたのかを聞く。

 3人が口々に、清人に感謝の言葉を伝え、称賛するのだが、清人はかえって、頑なに口を閉ざした。というのも、清人は助けようと思って、飛び出したものの、実際には何もすることができなかったからだ。

 3人を救った植物が、何故その様に動いたのか、清人にも理由は分からない。

 モナが口を開いた。「このことは、清人坊ちゃまも、理由は分からないので説明できないのです。植物は、清人坊ちゃまの皆様を助けたい、という気持ちに従って、動いたのは確かです。

でも、清人坊ちゃまが、それを命令したわけではないのです。」

 モナが、清人坊ちゃま、と呼ぶことに清人は恥ずかしくなった。

 「モナ、もうその呼び方はやめていいよ。恥ずかしいから。僕が自分で話すよ。」

月の光 38

 清人は、3人を信頼して、ここで起きたことを話そうと思った分けではなかった。それは、里美への親愛の気持ちを表したいから、里美に向けて自分自身の事を、自分で話したい、と思ったのだ。

 清人は、ここで生まれた時から、周囲が植物で飾られていたこと、その植物が普通の植物ではなく、むしろ機械のようであり、ただ他の機械と違うのは、自ら成長し、様々な道具に変化すること、などを話した。
  
 そして、その機械のような植物が自分を守り育てていたことを話した。

 「僕が分かるのは、そこまでで、何故その様な植物がここにあるのかは僕には分かりません。多分、両親がぼくを守るために用意したのだろうと思っています。

というのも、僕は普通の社会では受け入れてもらえなかったので、ここで生活するより他なかったのです。」

 3人は、清人の話すことを聞いても、余計に謎が深まるばかりだった。

 「そうすると、この植物や、列車ハウスをこのような仕組みにしたのは、ご両親だということなのか?」

 斎藤が、ますます不思議に思いそう尋ねた。

 「そうです、バビロンにいた時から、この列車ハウスで生活していました。」

 清人はすっかり冷静になって答えた。秘密を打ち明けたことで、心が落ち着いた気がしたのだ。

 「モナちゃんは、それを全部知っていたのか?モナちゃんは、この日本で雇われたのだろう?」

 斎藤が、急に話をモナに向けた。モナがロボットなのか、それとも人間なのか、斎藤にはまだ疑問だった。介護ロボットというには、余りに人間的すぎる。

 モナの事を、忘れていた、と清人は思った。モナが実は5万年前から土に埋まっていた、ということを話すべきか、それはまだ決意していなかった。

 だが、モナとの出会いについても話すべきだ、と思い、あの最初にホタルが現れた日のいきさつを話した。

 里美は、その話の全てを落ち着いて受け止めた。それらが全て本当の事なのか、それはまだわからない。事実と認識するのには、余りに理解を越えている。でも、清人が精一杯話してくれたことは嬉しかった。

 斎藤と中西は、ショックを受けていた。それは、この列車ハウスの植物の話でも、蜂やホタルの所為でもなく、モナが5万年も土の下に居たと言うことにだった。

 モナが何者なのかはまだ分からない。でも、人間ではないことは確かだ。清人が言うように人形かもしれない。遥か昔の文明人が作ったロボットなのかもしれない。それはどちらでもよかった。

 問題は、5万年も前から存在し続けていたという事だった。5万年先の未来からならまだ分かる。5万年前の過去からワープしてきたのでもよい。そのいずれでもない、5万歳と言うのが問題だった。

 モナの若々しいメイド姿が偽りだった。2人にとってそれは、例えていえば、実際は5万歳過ぎているのに、30歳位だと言われミニスカ姿に騙されて、貢いでいた、詐欺事件のようなものだった。

 2人は、すっかり意気消沈し、夕暮れの田舎道をトボトボと寂しく家まで帰る、少年のような気持ちで、列車ハウスを後にした。

月の光 39

 バビロンから戻った吾妻春清は、飛鳥研究所の所長高岳にバビロンでの研究の現状報告と、日本で現在起きていることについての彼なりの所見を述べていた。

 「5万年前の楔形文字のタブレットの解読を総合し現時点で私なりに理解したストーリーを申し上げます。

 タブレットに記されたメソポタミアの超古代文明人は、その故郷の惑星が破壊され、新天地を求めて宇宙空間を旅し、未知の惑星に辿り着きました。その惑星の気候及び表層環境、特に清浄な水の豊富であることが、彼らの生存には最適でした。

 しかし、その惑星は巨大生物の住む惑星でした。古代文明人はその惑星の水を必要としており、その植物も利用可能でしたが、巨大生物に襲撃されるため、それへの対処に悩んでいました。彼らはその対策として、巨大な人工生命体を作り出しました。

 その人工生命体は、彼らの血と大地から創ったとされています。その人工生命体を彼らは『エ・モナ』と呼びました。エ・モナは彼らの為に、農地を切り開き、灌漑し、水路を作り食料となる植物を栽培しました。

 しかし、現地の巨大生物のうち、巨人族が農地の周囲に出没し、食料を奪い始めました。エ・モナは防御の為に、城壁を作り、都市に集住しました。

 こうして、エ・モナは都市の中に神殿を作り、彼らを創った古代文明人を神と呼び、古代文明人の為に都市と農村を作ったのです。古代文明人は、エ・モナの作った植物を食料として、空から収穫を受け取る為にやってきたそうです。ここまでが、以前に報告した内容でした。」

 飛鳥研究所の高岳所長が尋ねた。「そうだったね、確か君は楔形文字のタブレットはその古代文明人が残したものだと報告していた。その古代文明人の正体は分かったのか?」

 「いえ、それが違っていたのです。このタブレットは、古代文明人ではなく、エ・モナの残したものだと思われます。」

 「それは、どういうことなのだ?」

 「古代文明人は、食料の生産をエ・モナに任せ、自らは空の上から、定期的に回収しに来ていたのです。ですから、バビロンの都市には、エ・モナだけがいて、古代文明人は神殿に祀られる神として存在していただけなのです。」

 吾妻の新しい報告は、超古代バビロンの都市を作った文明人以外に、さらに別の古代文明人がいて、しかもそれは空の上にいた、と言うものだった。

月の光 40

 「それでは、君は古代バビロンの文明を築いたものは、エ・モナで、そのエ・モナを作った別の文明人はどこへ行ったと考えているのかね。」高岳所長は、吾妻の話を聞きながら、怪訝そうに眉をしかめた。

 「神々が争って、5万年前に古代バビロンは滅びたのでしょう。その争った神々と言うのが空の上にいたのだろうと思います。今もまだ、どこかの空の上にいるのかも知れないと思っています。

 そして、箱舟はエ・モナが作ったものでしょう。だからあの楔形文書のタブレットは、彼らの子孫に向けたものではないのかも知れません。彼らとは違う、文明を持つ種族が解読するのを待っていたのだと思います。」

 「そうすると、君の考えでは、あれは地球人類のもではない、と言うことか。」

 「はい、そう思っています。あれが宇宙船だとしても、古代の人類ではないと思います。むしろ、彼らの呼ぶ、巨人族が地球人類だったのではないかと、考えています。」

 吾妻は、自説を淡々と述べたのだが、それは高岳には納得しがたいものだった。

 「しかし、いくら何でも、それは荒唐無稽すぎる。考えてもみたまえ、5万年前に文明があった、と言うだけでも、学界では捏造だと言われた。勿論、私は君を信じているからこそ、こうやって研究を続けさせているのだ。
 
 それでも、その結果が宇宙人の文明だった、と言うのでは、誰も納得しないだろう。どうやってそれを証明するのだ?証拠は、タブレットの解読だけだろう。文書自体が信用されていないのだよ。」

 高岳はもはや、不快感をあらわにした。25年間の研究の成果が、台無しになる、と思えたのだ。

 それでも、吾妻は自説を譲らず、更に最近の事件まで結び付けた。

 「このところの事件ですが、列車ハウスの近くで蜂が雲の中から出てきた、と聞きました。それこそ、空の上に彼らがいるという証拠ではないでしょうか。彼らが、攻撃を仕掛けてきた可能性があると考えます。」

 熱を帯びたように、自説を主張する吾妻を見て、高岳はすでにあきれたような表情になり、『吾妻は、一体何を言っているのだ。異国の地で25年もタブレットの解読を続けたのが、やはり長すぎたのか。』と、研究を続けさせたことを内心では後悔した。

月の光 41

「その列車ハウスなのだが、警察が調べているのだ、君は一度帰ったらどうなのだ。清人君一人残して心配だろう。」と、高岳は意を決して話題を変えた。

 「いえ、清人はもう18歳になりますから、一人で大丈夫です。それに私が列車ハウスに戻ったとなれば、それこそ警察が調べに来るでしょう。中を見せたくはないのです。」

 吾妻は、列車ハウスの中に、外部の人間を入れてはならないと、思っていた。そうすれば、そこにある植物たちの秘密が知られる、その事は、飛鳥研究所にも秘密にしていたのである。

 高岳は、古代の文明に宇宙航空科学の知識があると考えていた、だから宇宙船があることも予想していたが、しかしそれはあくまで地球人類の文明だというのが前提である。もしそれが、地球外生命の文明だとすれば、全く話が違ってくる。

 それがどんな生命で、どんな能力を持ち、どのような生存形態なのか、全ては予測不可能なのだ。人類にとって有害なものかもしれない、人類が危険にさらされるのかも知れない。

 その様な可能性まで考慮しなければならない。それは、通常の考古学では扱うことのできない種類の問題だ。
 
 「いずれにせよ、吾妻君、君は暫く休んだ方が良いと思う。25年は長すぎたのかも知れないな。この機会に千春さんも、日本に帰ってきた方が良いだろう。」

 高岳は、そう言って、吾妻の研究を打ち切ることを考え始めた。

 「そこまで仰るのであれば、私も考えてみます。千春とも相談して、近いうちに御返事いたします。」

 吾妻は、高岳がこの研究から手を引こうとしている、少なくとも、自分を研究から外したいのだろう、と感じた。確かに、事件が大げさになれば、この研究が非難されることはあっても、信頼されることはないのだろう。それは吾妻にもわかる。

 しかし、それでも吾妻には、この騒ぎが、タブレットに書かれていることと、関係があるのだ、と確信していた。そして、その事は確かに警告したのだ、と思い、自分の役割は果たしたのだ、と考えた。

 吾妻にとっては、雲の事も、蜂の事も、どうでもよい。それよりも、列車ハウスの植物を守ることが大事であり、タブレットを最後まで解読しきることを優先しようと思った。

 「最後にもう一度申し上げますが、あの雲から出てきたという蜂の騒ぎですが、あれは、人類に対する警告だ、と私は思っています。かつて5万年前に滅びた古代バビロンの二の舞いにならぬよう、注意すべきだと思っています。」

 それだけ言うと、吾妻は飛鳥研究所を後にした。最後がこんな形になるとは、予想外だったが、しかしあの植物を秘密にした時から、いつかこんな日が来るのでは、と心配しなかった分けではなかった。
 
 研究所の窓から、夕日が見え、西の空がオレンジ色に染まる。これが最後なのだと思うと、初めてここに来た日のことや、バビロンで初めて、タブレットを発掘した日のこと等が思い出された。

『25年は、やはり長かったのだな。』と吾妻も、一人でつぶやいた。

月の光 42

 城外開拓区警察署では、斎藤が大和署長に呼ばれて列車ハウス周辺について報告していた。

 「また、蜂が出没したそうだな。それについて詳しい報告が上がってこないのは、どうしてなのだ。」
署長は、静かに、しかし不機嫌そうな声で尋ねた。

 「はい、遅くなって申し訳ございません。ですが、あれはただの蜂でした。自分らが手で追い払うと、すぐいなくなってしまいましたので、改めて報告するほどではないと判断しました。」

 斎藤は、さも何事もなかったかのように言い訳をした。

 「ただの蜂?しかし、科学捜査班の橋本からは、雲が出ていたと、言ってきているのだ。それはどうなのだ。」署長の目が、斎藤を睨んだ。

 「雲が出ていたのかも知れませんが、だったとしても蜂はすぐいなくなりましたので、問題はないかと思います。」

 斎藤は、顔色を変えずに説明した。斎藤の予想では、あの植物の映像は、抹消されているはずだった。以前に列車ハウスの映像が抹消された様に、今回も、マザーが抹消すると思ったのである。

 決定的な映像がなければ、それ以上は追及されないはず、そう考えた為、ここはあくまでしらを切り通そうと考えていた。

 「では、その蜂のサンプルは持っているのか?まさか何も持ってないと言うことはないだろうな。科学捜査班に唯の蜂だと主張するためには、その証拠が必要だ。それ位は、わかっているだろう。」

 大和署長は、科学捜査班とのやり取りにうんざりしていた。蜂が、ただの蜂でも、或は地球外生命でもそれはどちらでもよい。これ以上こんなくだらないやり取りを、やめたいと思っていたのである。

 「あ、それはうっかりしていました。大変申し訳ございません。何だか、余りに簡単にいなくなったものですから、これは例の蜂ではないと、自己判断してしまいました。この次には、証拠のサンプルを確保してきます。」

 斎藤は、そこまでは考えていなかった。取り合えず、この場は謝罪することで終わらせようと思った。

 このやり取りを、終わらせたい、と言う点では、署長も斎藤も一致していた。問題は、どうやって終わりにするかである。

月の光 43

 科学捜査班が絡んでいなければ、この騒ぎはとうに終わっていることである。もう列車ハウスの周辺は封鎖されているので、マスコミも、外部のデモ隊も近寄らない。そうすれば、騒ぎも起きないはずである。

 しかし、列車ハウスを移動させることは、斎藤には不可能な事だと分かっている事なのだが、大和署長はそれが可能だと思っている。署長に列車ハウスの真実を知らせずに、この問題を終わらせるにはどうすべきか、それが斎藤の悩みだった。

 列車ハウスの中がどうなっているのか、それを知らせることは、まず第一に清人を危険にさらすことだ、と斎藤には思えた。

 『やっと清人は、心を開きかけたのだ。清人の心の中までは、もちろん俺には分からない。だが、長年たった一人で外部の誰とも接することなく、生きてきたのであれば、それをいきなり環境を変えて、社会に放り出すことはできない。

 心が傷つくに決まっている。その位のことは俺にも分かる。だから今は、ゆっくり時間をかけることが必要だ。信頼と言うものを築くことが、大事なのだ』と斎藤は考えた。

 だが、それは大和署長にとっては、ほとんど問題にならないことだった。

『18歳にもなれば、一人前だ。多少環境が変わったくらいで、問題にはならない。むしろ、新しい土地で新しい生活が始まるというのは、楽しみでさえある。』何も事情を知らずに、署長はそう考えていた。

 大和署長は、別に列車ハウスを移動させなくても、それが解決するのであれば、それでも良い、と考えている。問題は、科学捜査班をどう黙らせるかだ。

 もし、斎藤が言うように、それがただの蜂だったとしても、その証拠がなければならない。

 「列車ハウスを移動するか、もしくは、ただの蜂で何の問題もないのだと、証明するか、どちらかだ。次で、この件を解決するように、必ず証拠を持ってくるのだ。分かったな。」

 斎藤は「承知しました。次には必ず、証拠を確保してきます。」そう約束して、署長室を出た。だが、何の考えも今のところは浮かばなかった。

 『まったく、面倒なことに関わったな、どうするか。中西に相談しても全く頼りにはならないしな。こんな事件を解決する方が無理だ。証拠を捏造すれば簡単だが、それが通るほど、世の中甘くはないだろうしな。

 考えてみても、証拠を捏造するほどの重大な事件とも思えず、かといって、何もしなければ、事態は複雑になる予感がする。科学捜査班が、直接捜査する、何てことにならなければ良いが。』
 
 定年を間近にして、斎藤の悩みは深まるばかりだった。

月の光 44

 吾妻春清は、バビロンに帰る前に一度列車ハウスを確かめてみようと思った。当初はそんな予定ではなかったのだが、飛鳥研究所での高岳所長との話し合いの後で、考えを変えたのである。

 研究がもうできないとなれば、千春にも日本で何が起きているのかを説明しなければならない。その為には、自分の目で列車ハウスと、城外開拓区の状況を確認する必要があった。

 葦原湿原を見るのは、随分久しぶりだった。野馬除け土手に囲われた広い湿原に、風が吹き渡る様子は心地よい。

 この湿原の真ん中に立って、空を見上げ、周囲の葦原以外何もない空間を見ると、全ての悩みが遠くに消えて、自分が大きくなって、空と一つになったような開放感がある。

 広い空を見上げながら、春清は、清人が生まれてから、ここに来るまでの事を思い出した。

 清人は、春清と千春の子供として、バビロン市で生まれ、4歳になるまではバビロンで共に生活していた。だが、問題があった。このまま、清人がバビロンで成長すれば、やがては列車ハウスにも、友人たちを招待することになるかもしれない。子供は、特に男の子は、秘密基地を探検するのが大好きだからだ。

 列車ハウスの内部の植物の事は、バビロン国立大学には秘密にしてあった。

 そうして、吾妻清人だけが列車ハウスと共に、日本に送られることになったのだが、日本でも、保育所の問題が起きてしまった。その為、最終的に選ばれたのが、この城外開拓区での入植地だった。

 ここで、清人は列車ハウスの中だけで、マザーに守られながら成長することになったのだ。

 列車ハウスの前に新しく門ができていた。そして周囲には電柵が張り巡らされていた。門から、約10mの距離を置いて、黒に近い濃い茶色の列車ハウスがあり、周囲には木が植えられて、木陰の中の休憩所のようにも見える。

 だが、春清の目には初めて見る、その門がまるで、バビロンのように思えた。『バーブ・イル』神の門が、その都市の名前であった。

 すると、バビロン市での研究を終えて、ここに帰ってくることが、何かの啓示のように思えた。ここが新しい『バーブ・イル』なのではないか、と思えたのである。

 そう考えると、急に列車ハウスの黒ずんだ姿が、重厚な色合いに見えてくるから不思議だ。『そう、ここに雲が現れ、ホタルや蜂が現れた、と言うこともすべて、これからの研究はここで行えという、啓示なのだ』

 そうして、希望が湧いてきて、やがてその思いは、強烈な確信へと変わった。少し前の感傷的な思いは、完全に消え失せ、足取りも軽やかに、しかし、しっかりと大地を踏みしめ、列車ハウスへと歩いた。
 

月の光 45

 門から、列車ハウスへと歩く春清の足元に、草が現れ、緑の絨毯が敷かれたようになる。絨毯の両脇には、膝くらいまでの高さの赤い花が咲き、それが列車ハウスの入り口まで続く。

 春清は、まるで戦いに勝利して凱旋する王のように高揚した気分になっていた。

 列車ハウスの入り口が開き、一歩足を踏み入れると、そこには見慣れない暖簾があった。レストハウスと書かれている。『何だ、これは。清人の仕業か?』怪訝そうに自然と眉がゆがんだ。

 暖簾をくぐると、メイド姿のモナが「お帰りなさいませ。ご主人様。」と大きな声で迎える。暫く、春清は声が出なかった。

 『この、女は何者だ。これも清人が招き入れたのか。いや、清人がそんなことをするはずはない。とすると、一体誰だ。もしや、清人がいなくなったのか。

 この女は一人なのか?それとも、他にもこの女の仲間がいて、清人はその者たちに追い出されたのか?
それとも、この者たちにこの列車ハウスが占拠されたのか。清人はどうしているのか。

 そうだ、マザーはどうしたのだ、植物が迎えたということは、マザーがいるはずだ。なのに、これは一体何が起きたのだ?』

 様々な疑念が一瞬の間に湧きおこり、「誰なのだ。君は。」そう言うのが、やっとだった。

 「私は、モナと申します。ここで、清人坊ちゃまのお世話をさせて頂いています。」モナはニコニコとしながら明るく答えた。

 「清人の世話をしている?清人はいるのか?清人をここに呼びなさい。」春清がそう言って、清人を呼んだ。

 「清人坊ちゃまは、只今は調子がよくないと仰って、ベットでお休みされています。」モナは申し訳なさそうに小さな声で答えた。

 「いいから、清人を起こしてきなさい。」春清は、もう先ほどの高揚した気分は消え去り、事態が把握できないため不機嫌になった。

 「マザー、一体どういうことなのか、説明してくれ。」続けて、春清はマザーに問いかけた。

 マザーが迎えないことに春清は不審を抱いた。ここは、自分の城のはずだ。ここを作ったのは、自分で、マザーはそれを承知しているはずだった。

月の光 46

 バビロンでこの列車ハウスを作って以来、植物たちは、春清の気持ちのままに動いてきたはずだった。マザーはいつも春清の意志を理解し、その通りのことを実現してきた。そのように、春清はこの列車ハウスを理解していた。

 春清にとっては、この植物たちは自分の分身ともいえた。それが、自分の知らない事が起きている。植物たちが、自分から離れようとしている、そのように感じたのだ。

 清人は、出てこなかった。代わりにマザーの声が、モニターを通して響いた。

 モナがここに来る事になった経緯を、マザーが説明したのだが、まだ春清には信じ難かった。取り分け、清人が自分でモナを招き入れた、と言うことがどうしても、納得できなかった。

 春清にとって、清人は、人形のような存在だった。清人が自分の意志を持つことは、この列車ハウスの秘密が外部に知られることに繋がる。そう考えた春清は、清人を外部から遮断してきたのだ。

 それが、自分の知らない間に、モナを招き入れたと言うことは、清人の春清に対する反抗に思えた。

 「清人は、まだ起きないのか。清人から説明を聞きたい。清人、何故お前は、モナをここに招いたのだ。」
 
 春清は、再び、大きな声で清人を呼んだのだが、返事はなかった。代わりに、門にあるインターフォンが鳴った。

 「里美です。清人さん、お話しが在ってきました。開けてもらえますか。」門の前に、里美と、斎藤、中西の3人が並んでいた。

 「何だ、あの者たちは。」春清は、突然の訪問者に、驚いた。

 「あの方たちは、警察の方です。もう何度かこちらにいらしています。」モナが答えた。

 春清にとっては、またも予想外の出来事だった。「何故、警察官が来ているのだ。それも何度も訪問しているとは。一体どうなつているのだ。」

 「清人坊ちゃまも、もう既に会ってお話しされていますが、お通ししても宜しいですか。」

 「だめだ、ここには外部の人間を入れるなと、言ってあるはずだ。帰ってもらえ。」と春清は語気を強めて拒否した。

 モナが「申し訳ありません。今は、訪問は・・・」と、断わろうとしたその時だった。

 「僕が、会うよ。門を開けて。」と、清人がベットから起きだして、そうモナに言った。

月の光 47

 清人から言われて、モナが門を開けると、春清は諦めて食堂車に退いた。

 『まだ自分が、姿を見せるわけにはいかない。彼らは、どこまで知っているのか、それを探る必要がある。』春清は、まだここの全てを、彼らが知っている分けではないだろうと予想した。

 暖簾をくぐって、里美が挨拶をし、「清人さんに相談があるのです。」と言った。

 「実は、あの雲から出てきた、蜂の事なんですけど。あれを捕獲する事は出来ないでしょうか。」
 
 里美は、大和署長がそれを希望していることを説明した。そうすれば、この事件の解決が見えてくる、とも言った。だが、それはモナやマザーにとっては事態を大きくする可能性があることに思えた。

 食堂車で様子をうかがっている春清は、『何を、馬鹿なことを言っているのだ。あれが、何者か、こいつらは知らないのか。まさか、ただの蜂だと思っているのか。」と、憤慨し、あきれていた。

 「それは、僕にはよくわからないけど、モナ、どうなの。」清人はモナに尋ねた。実際清人には、全くどうしようもないことだった。

 「蜂がいつ出てくるのか、良くわかりませんし、それに捕獲できるかどうかも私には、よくわからないのです。ごめんなさい。」モナも、ちょっと困った様子で断った。

 すると、斎藤が「それが、もし捕獲できなければ、この列車ハウスをどこか別の場所に移動するように、と言うのが、署長の意向なのですが。大変申し訳ないのだけど、それは、可能ですか?」と、心底申し訳ないと言う風に、顔をしかめて申し出た。

 『この列車ハウスを移動する?何の権限があって、そんなことを言っているのだ。ここは、私の城なのだ。』

 春清は、今にも、飛び出していって怒鳴りつけたい衝動に駆られるのを必死で抑えていた。

 「移動って、どこに移動するのですか?」清人が、深く考えもせずに尋ねた。

 『清人まで、何を言い出すのか。』春清は、清人の対応が信じられないほど愚かに思えた。

 「駄目だ、清人、勝手なことを言うな。この列車ハウスを移動するなど、とんでもないことだ。そんな事は、この私が絶対に許さない。」

 ついに我慢ができなくなった、春清は、大声で怒鳴ってしまった。

月の光 48

 食堂車で、大きな声がした。中西が「今、何か、声のようなものが聞こえましたよね。誰かほかにいるんですかね。」と、斎藤に聞いた。「ああ、確かに声が聞こえた。モナちゃん、誰かほかにいるのか?」

 モナが、困って清人の方を見た。すると、食堂車のドアが開き、春清が出てきた。

 春清は、怒ったようにそこにいる全員を睨んで、そして清人に向かって「お前は、ここで何をしているのだ。このものたちを呼んで、私の作ったこの列車ハウスをどうするつもりなのだ。」こう言った。

 清人は、父である春清を見た。

 『この人は、一体誰なんだ。何故、僕に向かって怒っているのだ。僕が何をしようと、それは僕の自由だ。この人が、父親?僕には、この人の記憶がない。長年放っておいて、そして今は、僕に怒りを向けている。それだけの人。』

 清人は何も言わず、黙っていた。

 春清は、今度は斎藤たちに向かって「君たちは、何だ。蜂を捕獲するとか、この列車ハウスを移動するとか勝手なことを言っているが。何の権限があって、そんなことを言っているのだ。」と、強く詰問した。

 「あの、私達は城外開拓区警察署の署員です。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。」と斎藤が動揺しながらも、取り繕うように挨拶をし、身分証明書と、裁判所の許可証を提示した。それを見て、中西と、里美も、身分証明書を示して挨拶をした。

 「失礼ですが、貴方はこの家のご主人の吾妻春清さんですか。」斎藤が確認した。

 「そうだ、私が吾妻春清だ。ここは、私の家だ、私の許可なく、この列車ハウスを移動すると言っていたが、どういうことなのだ。それは、警察署の意志なのか。裁判所の許可証があるのか。それとも、君の勝手な判断なのか。説明したまえ。」春清は、まだ怒りが収まらない様子だった。

 「いや、これは大変失礼なことを申し上げました。誤解されるような言い方で申し訳ありませんでした。移動すると決まったわけではありません。私の希望は、まずあの蜂を捕獲出来ないか、と言うことでした。」

 斎藤は、平謝りで、丁重に説明しようとした。

『参ったな、まさかご主人がいるとは思わなかった。そうと知っていれば、別の話し方を考えるのだった。しかし、もう遅い。ここはとにかく謝って、誤解を解くしかないな。』
 
 今は、何とかこの場の雰囲気を和らげたい、そう考えるのが精一杯だった。

月の光 49

 斎藤は、城外開拓区警察署及び科学捜査班がこの雲と、蜂やホタルがに関して、地球外生命の侵入を疑っていることを説明した。そして自分たちは、できれば騒ぎを穏便に終わらせたいと思っていることを話した。

 「では、君たちは、清人の為を思って、そう考えたというのだね。そして、植物については報告していないのだね。」春清は、少し冷静さを取り戻した。

 「はい、そうなのです。このままでは、事が大きくなるので、それを防ぐためにも、蜂が危険ではないことを証明したいのです。」斎藤は、春清の様子を見て、穏やかに話せそうだと思い、少し安心した。

 「マザー、私は、この事態をまだよく知らない。君の考えはどうなのだ。」春清は、全てを一番よく知っているはずのマザーに問いかけた。

 「ご説明する前に、お伺いしますが、春清さんは、この刑事さんたちについてどうお考えですか。私が、この場で全てを話しても宜しいと、つまり信頼できる相手だとお考えですか。」

 マザーは、逆に春清に尋ねた。これから話すことが、彼らの理解を超えることだと予想したのだ。

 「それは、まだだ、これから判断する。しかし、既に、彼らが植物の事も知っている以上、むしろ問題は、彼らが私を信頼するかどうかだ。

 もし、マザーの話を聞いて、彼らがそれを私ではなく、警察と相談するというのなら、それは彼らが私を信頼していない証になる。その場合には、当然私も彼らを信頼できないだろう。

 彼らが、清人のためを思って、植物の事も秘密にしているのが真実であれば、これからマザーの話を聞いても、それを秘密にするはずだ。それで初めて私も彼らを信頼することができるだろう。」

 春清の言葉は、斎藤たちにとっては、ぎりぎりの決断を迫るものだった。内容によっては、これから警察には秘密にしなければならない、と言うことだ。それは、警察と言う自らが所属する組織を裏切る事を要請されているのだ。

 かと言って、話を聞くのを断れば、それで春清の信頼は失われる。自分たちの任務は失敗に終わると言うことだ。

 「どうするのかね、斉藤刑事、それでもマザーの話を聞く覚悟はあるのかね。」

 春清は、斎藤に決断を迫った。

月の光 50

 斎藤の頭には、もうすぐ定年だ、退職金はいくらだろう、それがなくなったら、どうするのだ。などと言うことが過ってしまい、こめかみに汗が滲んだ。

 中西も、事態が思わぬ方向に進んでいくので、自分の将来、出世は出来なくても、生活安全課で、のんびり仕事を続けていたい、などという願望が消えてゆくのを感じ、困惑した。

 そんな斎藤や中西の思惑を尻目に、里美が口を開いた。

 「もちろんです。どのような話であっても、私は、清人さんやモナさんを信頼しています。その清人さんに関わることですから、皆さんを裏切ることはありません。」

 斎藤も、中西も、思わず里美を見て、口が開いてしまった。『待てよ、里美。結論出すのが早すぎるだろう。』だが、声は出さずにグッとこらえた。ここで、その言葉を否定することはできない。

 清人は、斎藤たちが困っている様子を見て、何か言わなければ、と心の中では思ったのだが、言葉が思いつかなかった。

 そもそも父親とまともに話した経験がない。彼を何と呼べばよいのか、そこから躓いてしまい、その先へ進むことができずにいた。

 しばらくの沈黙の後、マザーが話し出した。「では、ここで起きたことを説明します。」

 マザーによれば、蜂や、ホタルは、モナと同じく神々が作り出した人工生命体で、恐らく、モナの復活に合わせて、飛来したもの。

 5万年前に滅ぼした、地球の文明社会が、この千年程で再び活発化し、地球の環境、取り分け水をめぐる環境が悪化したためだという。神々の生存のためには、清浄な水が必要なのだという。

 「神々の争いと言うのは、地球の環境悪化が、地球人類の増殖によるものだとし、5万年前と同じように、滅ぼすべきだ、という神々と、滅ぼすのではなく、地球人類を改良することで環境の悪化を防止すべきだと、する神々の争いなのです。

 モナの復活は、後者の人類改良派の神々によるものと考えます。そして、蜂やホタルはそのモナの復活を阻止するために飛来しているのだと考えます。」

 マザーの話は、斎藤はもちろん春清にとっても、予想を超えていた。

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