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ロクサーヌ (その48)

 私kは、唐から来たという犯罪人2人を乗せて東北道を走っていた。仙台で既に夜になり、休むために高速道を降りた。松島に向かい旅館に泊まるつもりだったのだが、この2人には身分証明書がない。まともな旅館で予約なしに泊めてもらうことはできなかった。考えてみれば当然なのだが、そのようなことには思いが至らなかった。私もまた、この社会をただ浮遊しているだけで常識ある現実を生きてはいなかったのだ。やむなく、国道沿いを探して走りやっと一軒のラブホテルに泊まることができた。男3人で大きなベッドが一つだった。こうゆう場所にはいろいろな人が来るのだろう、特に事情を聴かれることもなかった。
 男たちは兄弟で兄はヒョンニ、弟はインチョルと名乗った。高句麗の出身だというが、髪は2人とも赤みがかった茶色で、弟の目は緑色、兄の目はグレーだった。チュルクとアーリヤの混血に思えた。話を聞いてみると、反乱が失敗に終わり、その後チュルクや胡人と呼ばれたアーリヤは厳しく排斥されたのだという。2人は高句麗遺民を名乗り難を逃れたのだが、今では本当の名前も覚えていないという。
 翌日は晴れていて、松島の海と島はとても美しく見えた。橋を渡って小島を歩き、また街に戻って瑞巌寺を見た。ここは、唐に留学して変えてきた円仁大師が開いた寺だという。そう言えば、あの恐山の霊場もやはり円仁大師の開いたものだという言い伝えがある。
 東京について私たちは錦糸町の私のアパートに帰った。6畳一間に男3人はとてもむさ苦しい。アパートの部屋でしばらくして落ち着くと、私にも現実が見えてきた。食費も必要だし、その為に仕事も必要となる。この2人をいつまでも遊ばせておくわけにもいかない。そうなるとこの者たちの仕事も探す必要がある。それよりももっと大事なことは、この者たちが密航者であるということだ。それをかくまっている私も犯罪者ということになる。
 そう思ってぼんやりと思案をしていると、ドアが大きくノックされ「kさん、いますか?派出所のものです。」と声がした。警察である。私が、2人に隠れるように言うより早く、すでに2人の姿はなかった。
ドアを開け「はい、私です。」と答えた。警察は、住民調査の巡回できたという。氏名や年齢を確認し、無職であると話すと、人のよさそうな警察官は「警察で働いたらどうだ。」と勧めてくれた。
だが、私には過去があり、また今現在も秘密を抱えてしまっている。丁重に断るしかないのである。
 警察官が帰って、しばらくすると、2人が戻ってきた。どうしたのか聞くと、窓から出て隣の部屋との間を伝って飛び降り、走って逃げたのだという。この犯罪人たちは、このような時には私などよりもずっと勘が働き上手に切り抜けることもできるのだと思った。一方で、私はまた罪を犯したのだとも思った。
 これから、私がしなければならないことはこの者たちを抱えて生活するために、まずは職を得ることだ。無職であることが警察に知られた以上ここはマークされるということだ。ここへ来た当初の目的とは、自分を見つめなおし、生活をやり直してみることだったが、思いもよらぬ形でそれは動き出しているのだ。

ロクサーヌ (その49)

2140年7月12日(火)
 私ロクサーヌは『精神』というものについて、どう調べてよいのか分からなかった。
お坊さんがいれば、何か教えてもらえたかも知れないが、ラムや次郎では相談の仕様もない。
神主様に聞いてみたが、神主様にもよくわからない事だった。神主様は何かを修業していたわけではなく、代々神社のしきたりを守ってその儀式を教わって来たのだという。
 神主様によれば、その儀式は神に捧げるものであり、宇宙の真実を表していて、また人の人生を表しているのだという。だから、この儀式を学びそれを知ることが神を知ることなのだそうだ。神主様は、まだそれを学んでいる途中なのだという。
 神主様は、奥多摩のさらに奥にある日原という村の出身だそうである。その村には、鍾乳洞がありその入り口に竜神様を祀った神社があるのだそうだ。神主様は、9歳のある日その龍神様を見たそうである。輝く金色の髪をした女性の神様で、その神様を見たものがこの神社の神主として儀式を学ぶのだそうだ。
 私は、明日その竜神様に会うために日原へ行ってみようと思った。
会えるかどうかも分からないし、会えても何も分らないのかも知れない。それでも、動いてみることが大事だと思った。
 夜になって、私は自分が大それたことに向かっているのだと思った。私は、ご主人様達を私の運命に巻き込んでしまった。この世界が、前の世界と違っているのかも知れないが、それも私が皆を連れてきてしまったからだ。皆を救い出すために私は、殆ど無理だとは思うけど、『精神』を知らなければならない。私は今まで自分が助かる為に生きてきた。けれど今は自分と自分以外の皆のためにやらなければならないことがある。初めて『目的』というものを知り、その為に生きることを知った。
 それでも、カプセルの中で眠らされている皆を思うと、涙が一粒こぼれた。すると、いつも寝ている次郎が足音もなくやってきて、私の顔をペロッとなめて戻っていった。次郎は、人の涙が分かる優しい犬だと思った。

ロクサーヌ (その50)

2140年7月13日(水)
 私とラムと次郎は、日原へ向かった。奥多摩駅からバスに乗ってゆくのだが、途中から道は車1台がやっと通れる細さとなり、大きな断崖絶壁を張り付くようにして進む。このような景色は日本というよりは、中国の山奥の奇岩をを思わせる。そそり立つ岩山は赤茶け、また黄色く見える。頭上に迫る巨岩は張りめぐらされたネットでやっと落下を防いでいるようなありさまである。もしも、雨で崩れたらこのバスもひとたまりもないだろう。下は見ることもできないほど深い谷で、正面からたまに軽自動車が来るのだが、すれ違うためにはところどころにある避難場所でなければ不可能である。そのような道を小1時間ほど進み、やっと村に着く。
 その村では、家はみな道路から下へと下る坂の途中にある。つまり、道路から下にへばりつくようにして村全体が斜面になっているのである。もちろん戸数は少ない。バスを降りて更に30分ほど歩くと鍾乳洞があり、その手前に小さな神社があった。そばにある岩に竜神様と思われる形が見える。自然に出来たものか、彫られたものか私には分からなかった。その前で手を合わせて拝んでいると、あたりが暗くなってきた。やはり竜神様はいるのだと感じた。そして、私を呼ぶ声が聞こえてきた。それは以前、長安のタワーで見た人だと思った。ペーシュウォーダ(先に創られたもの)であった。その人に私は、私たちの世界が終わってしまうかもしれない事、私の大事な友人たちが捕らわれていることを話した。
その人が言うには『精神とはこれである』とは言えないが、しかし、衰退の原因はおおよそ分かっているという。
 かつて、ペーシュウォーダの人々がその文明の頂点にあった時、人々はあらゆるエネルギーと富とを持ち、豊かな社会であった。人々の科学技術は信じられないほど進歩していて銀河をも征服できる力があった。
 しかし、その文明が何世代か繁栄を続けた後、新しく生まれた人々は原始人のように退行してしまった。その人たちは社会の富や財や技術といった、過去の文明の成果を使うことはできたのだが、それを維持し更に新しいものを生みだすことはなかった。何故ならそれは既に完成されていて、何の不自由もなかったからだ。あまりに快適な生活が何世代も続き、生まれたときから快適な文明の環境しか知らないものは、そこで満足してしまったのだ。
 そして、その社会を維持することができるのは少数の知識を持った者だけになった。その後、徐々に文明は活力を失い、人々は知識のある少数の指導者にも不満を持ち始めた。これが、『小さな私』が増えすぎた結果なのです。だからロクサーヌ、あなたは自身の中にいる『小さな私』に気づきそれを超えることが衰退を防ぐ道なのです。
 そう言って、竜神様は消えた。まだ知りたいことは沢山あった。何故ここにペーシュウォーダがいるのか?それも疑問だった。だが、話を聞けただけでも有難く『ここまで来たかいがあった』と私は思った。
帰りにはすっかり暗くなってしまい、あの狭い山道を行くのは殆ど恐怖だった。

ロクサーヌ (その51)

1990年8月3日(金)錦糸町
 私kは、テレビと、冷蔵庫と、電気炊飯器を買った。一人であれば要らないものと思っていたが、3人で生活するとなると、そうもいかない。働かなくてはならないし、社会と関わらなければならない。そうすると、今日が何日で何曜日なのか、などとどうでもよいことも気にかけなくてはならない。そして、今日が1990年であることを知った。私は、私の記憶では1975年10月12日生まれで25歳、もうすぐ26歳のはずだった。しかし、今日が1990年8月3日であるとすると、私は14歳でもうすぐ15歳ということになる。何かがオカシイ。そう言えば、恐山を出て野辺地でフェリーに乗った時すでにおかしかった。行く時にはフェリーは大分前に廃止されていて、なかったはずだ。しかし、大間に行くはずが何故かまた野辺地に戻り、そしてフェリーに乗った。理由は分からないが、その時過去に戻ったのか?しかし、過去に戻ったのならなぜ私は中学生ではないのか?
 中学生だった頃、私は突然母子家庭の子になった。高校受験を前にして、なぜか私の成績はおとされて、大学へは行かないのだからと他の子に割り振られてしまった。ただ勧められた工業高校は、私は機械が苦手だったので断った。そしてとくに勉強する必要のない高校を受験することになった。夏休みが終わると、それまで昼休みに遊んでいた子も勉強するようになり、私は体育館で、一人でバレーボールをひたすら打っていた。そして、何となくだが15歳の誕生日で自分の人生は終わるような気がしていた。自殺するわけではないのだが、死ぬのだろうと思っていた。
 だが、誕生日が過ぎても何も起こらず、私は卒業し普通科の高校に進んだ。あの頃、私は自分を変えたいと思っていた。そうしないと、苦しくて死んでしまいそうだったからだ。その為に高校へ行ってからは、それまで正しいと思ったことの反対を行うことにした。今までの生き方では失敗したと思ったからだ。私の周りには、以前なら『悪い』と判断するような人間だけになった。そして、警察に捕まるようになり、家裁へ行くようになった。
 今の私は、どうだろうか。結局、生き方を変えたいと思い、そしてまた罪を犯そうとしている。本当は、私は15歳で死んだのだろうか?何かの罰を受けてやり直しているのだろうか?今は、一体いつなのか、自分の記憶がオカシイのか。免許証を確認してみる。1964年10月12日生である。今25歳であることは間違いない。そして今日が1990年8月3日であることも、テレビを信じれば事実である。また誕生日が来ると私は死ぬのだろうか?そしてまた別の世界で別の人生をやり直すのだろうか。
 いくら考えても思考はただ同じことを繰り返すだけで、結論は出ない。今言えることは、自分の『意識が連続している』ということを信じるだけだ。ひょっとしたら、私は今病院の中なのかもしれない、あるいは随分年を取って記憶が混濁しているのかも知れない。そのいずれであったとしても、今目に見える私の現実を現実として信じて生きるしかないのだと思った。

ロクサーヌ (その52)

1990年8月17日(金)錦糸町
 私たちは、働き始めた。ヒョンニとインチョルの兄弟は、外国人パブで働くことができた。同じ系列の店でヒョンニは錦糸町、インチョルは船橋の店だ。従業員は東南アジア系が多く、言葉が多少不自由でもなんとか務まった。
 私は、消費者金融の会社に就職できた。もうすぐソ連が崩壊し、日本でもバブルが崩壊するのだがこの時はまだ景気も良かった。外国人パブでは、不法に就労しているものも多く、身分証明書の件も問われずに済んだ。というよりも、分かっていて雇ったのだろう。
 消費者金融の会社で、初めは受付からやらされた。来店客に申込書を書いてもらい、それをもとに記載事項を確認してゆく。勤務先の在籍確認と自宅の電話の確認。身分証明書の確認などをして、店長に決済をもらう。店頭では利息を説明するのに電卓を使う。慣れないうちは何度も計算間違いをした。正直、簡単な仕事と思っていただけに、自分が電卓すらまともに使えないということを知りショックを受けた。帰る前には、その日使った書類のチェックと、切手や印紙の在庫確認。そして現金のチェックをする。私は、切手と印紙の在庫を確認するのだが、これもやはり間違えてしまい何度も注意される。
こうして当たり前のことではあるが、労働するということに慣れていく。
 しかし、一番ショックだったのは、ある女性の申し込み客の受付だった。その客は、子供を5人抱えた客で、来店時にも1人を背負い、他に2人の子の手を引いてやってきた。そして涙ながらに苦境を訴え、20万の借り入れを申し込んだ。私は、その様子に思わず同情して貸して上げたいと思った。しかし、店長は「涙に騙されてはいけない」と言った。スコアリングのシステムでの決済は5万だった。これは、どんな客にでも貸せる最低限の金額だった。店長が言うには、「子供が5人もいるのだから生活するだけで精一杯であり、かつ他社でも借りている。可哀そうだが返済する力はないだろう。」つまり、5万円は返済の見込みのない捨て金なのだ。それを、その客は「有難うございます」と言って借りていった。たぶん、もうそのお金は返っては来ないのだろう。
私は、金貸しの仕事を知っていった。
 その点外国人パブでの仕事は気楽ではないかと思えた。夕方4時から開店の準備をし、深夜2時までの労働である。店が終わると、女の子を寮まで車で送る。そこまでが仕事だった。それでも、インチョルが言うには、女の子同士のもめごとや、またホームシックにかかって精神状態が不安定になる子もいて、その対応は慣れないと面倒なのだそうだ。
ともかく私たちは、その内容は別として、それぞれに新しい仕事に就くことで精神に張りが出てきたのだ。

ロクサーヌ (その53)

 私ロクサーヌは、目的を達成するために、どのように調べていけばよいのか考えた。
ペーシュウォーダによれば文明の衰退の原因は『小さな私』が増えすぎた為だという。
先ずは『小さな私』とは何かそれを調べることにした。
文明を維持することもできず、新しく創造することもできない、ただ消費するのみの人々である。その人たちは、快適な文明の環境の下に生まれ、代を重ねるごとに徐々に活力を失った。つまり恵まれた環境の下に育ったために苦労を知らない所謂『お坊ちゃま』ということなのだろうか?。お坊ちゃまは大抵我がままで、自分は万能だと信じている。『永遠の子供』なのである。そういう人は権利を主張することに長けているが、生きるためには相応の義務や責任があることを知らない。
このような、人々がいつ誕生したのか?
 私は、何となくではあるが、明治維新を起こした若者たちを思い出した。長い江戸時代の後に、その平和をアッという間に破壊した人々である。そう言えば、明治維新と同じ頃にドイツと、イタリアでも統一戦争があり、その3国はそろって70年後に滅びてしまった。それだけではない、少し遅れて革命を起こしたロシアもソ連という国になって70年後に滅びてしまった。これらはただの偶然だろうか、私はこれらの国で起こったことを調べようと思った。
最初は明治維新を起こした日本からである。
 ラムと次郎を連れて、タワーに向かった。タワーの図書館で調べようと思ったからだ。
タワーへ行く途中で皇居を見た。ここは江戸城の跡であり、日本の天皇陛下が住まわれているところだ。今は何の権限もないのだが、人々は変わらず尊敬している。皇居の中は木々の緑や、草花や、お堀の水など自然が豊かな公園である。次郎は自然の中に入ると急に活発になりはしゃいで走り回る。ラムは、そのようなことはなくじっと私のそばに寄り添い、しかも次郎の動きをずっと監視している。次郎が勝手に遠くへ行き過ぎた時には、ラムはまるで牧羊犬のように次郎を取り押さえ連れて帰ってくる。同じ兄弟でこうも違うものかと驚き感心させられる。
 皇居は、その美しさはとても素晴らしいのだが、もっとも驚かされたのは、それを維持しているのが全国から集まったボランティアの人々だということだ。新潟県や福島県などとゼッケンをつけた人々が、雑草をとったり掃除をしたりしている。ここでは、だれも強制されたわけでもなく自発的に参加しているのだ。そのような努力があって美しい皇居が維持されている。これを見たとき、私はここに江戸時代があるのだと思った。破壊的な明治とは違う江戸の伝統なのである。
 タワーでウシュパルクに会い、図書館を利用させてほしいと頼んだ。ウシュパルクは、バーチャルヴィジョンを使って良いと言った。バーチャルヴィジョンというのは、以前敦煌のタワーで見たことがある。ゲームなのだが、その中に入ると殆ど現実と区別がつかなくなってしまう。それを使って歴史を実際に体験することができるのだ。

ロクサーヌ (その54)

1990年9月9日(日)錦糸町
 私たちは、それぞれ働き始めて1か月が経とうとしている。
 今では私の仕事は、受付や貸付ではなく、督促が主体になっている。
朝出社すると、延滞客のリストを確認し、電話をかける。1時間に100から200件である。殆どのお客は、電話に出ることはない。約束の取れるお客と、取れなかったお客に分けて、これを1日に3回繰り返す。延滞客はさらに、当日発生と1週間ごとの延滞日数によって分類される。こうして段々に初期の延滞客と長期の延滞客とに分類され、システムによって管理される。
 会話は極力短く、要点のみに絞られる。何月何日、何時にどこからどのような手段でいくら入金するのか。それをコンピューターに記録していく。肝心なのは、感情を持たずに機械的に行うことである。約束は、破られて当然なのである。むしろ破られる為にあるようなものである。そのように思わないと、感情的になりトラブルになってしまう。
 顧客は、その場しのぎのためか、様々な事情を説明しようとするが、それを聞いているのは時間の無駄になり非効率的なのである。それでも、私は、ついつい顧客の話を聞いてしまう。つい同情してしまうのである。そしてたいていの場合その説明は事実とは異なっている。
 一定時間が過ぎても通話中だと、アラートが鳴る。それを過ぎると自動的に切断されてしまう。というのも、長時間にわたる交渉は過剰な督促とみなされる恐れがあるからだ。
 このようにして、一日が終わる。督促可能な時間も法律で定められているため、督促のための残業は殆どない。
自分の感情さえ制御できれば問題のない仕事である。
 一方、ヒョンニの方は困ったことになっていた。
新人のホステスを成田まで迎えに行ったり、またプロダクションに行って誰を採用するか決めたりするのだ。迎えに行くこと自体はよいのだがその後にその中から、誰かを採用し、誰かを断らなければならない。ホステス志願の子も、わざわざ遠い外国からきているので必死である。国に帰れば、家族に期待されているからである。恐らく日本に来るために借金を背負っているのかもしれない。前払いで、家族が受け取っているのかもしれない。
 断ったがために、大声で喚かれたりもする。そのような経験はないので、慣れないとできないのである。しかし、そのような同情心などをコントロール出来れば特にむつかしい仕事でもない。人を感情のない品物のように扱いさえすればよいのである。
 このように、私たちは、全く違う職種なのであるが、必要とされるのは同じ心の能力である。つまり感情のコントロールである。しかし、それは簡単にはできない。自分自身をシステムの一部にしていくというのは難しいのである。

ロクサーヌ (その55)

2140年7月18日(月)トーキョー
 私がバーチャルヴィジョンを使うことに、ラムは強く反対した。バーチャルヴィジョンを使うためには、チップからの情報を受け取る必要があるのだが、そのためには腕輪を外さなければならない。この腕輪は、チップからの情報を拒否する為の物だからだ。ラムはウシュパルクを、敵だとみなしていたので全く信用していない。だから、たとえ私の言うことでも、こうなると全く自分を曲げようとはしないのである。その為、私は当初の予定通り、図書館で本を調べることにした。
 本を読んでいるうちに、明治はいろいろな改革が行われているが、その中には信じられないほど悲惨なものがあると思った。私が驚いたのは、明治元年の神仏分離令である。1000年以上の歴史を持つ神社と仏教の習合を一片の命令で廃止したのである。人々の心をこのように簡単に引き裂くことができる維新政府とは何者なのだろうかと思った。
 さらに驚いたことには、明治天皇が亡くなられるときに、この廃仏毀釈について「一生の心残りである」と嘆かれたという話である。これでは、尊王というのは方便で、明治維新を実行した勢力が、天皇を始めとする日本という国を私物化したということではないか。
 調べれば他にもたくさんの悲劇が出てきた。明治維新が西国中心の勢力であり、関東以北の諸藩は概ね反対していたことである。その為、悲劇的な戦争が東北各地で行われた。そして維新の中心勢力であった薩摩はそれ以前にイギリスと戦争をして負けており、そのためイギリスの傀儡となっていたことである。
 江戸幕府は対抗上フランスの援助を受けていた。これは、外国の勢力を招き入れた内戦ではないか。その結果はどちらが勝っても、欧米の支配下にならざるを得ない。明治という時代は、江戸時代が防ごうとして必死になっていた、日本の植民地化を、攘夷を叫んだ勢力自らが招いた時代だったのだろうか。
 明治を作った人々は若者が中心だった。彼らは、江戸時代の長い平和に飽きていたのだろうか。江戸を作った人々は、関が原以前の戦国時代を知りその戦いを終わらせるために、江戸時代を作った。明治の人は真逆である。
 戦争の時代を知らないがゆえに、戦争を求め、しかも自分が勝つと勘違いしているのである。事実は、薩摩も長州もイギリスはじめとする外国に負けていて、その風下に立っていたのである。更にイギリスからは借金までしていて、その為維新後の金融はイギリスの支配下になった。
 私は、あの平和で静かな国だったというお坊さんの国が、なぜこのようにみじめな国になったのか不思議である。
もちろん人々は、真面目で平和を愛していたのだろうが、そうではない人々も多くいたのである。ことに、社会を主導すべき人々が何も知らない若者だったということが、無念に思える。その若者を導く人は、大方が維新によって殺されてしまったのである。

ロクサーヌ (その56)

2140年7月19日(火)トーキョー
 私は、図書館で明治の日本を調べたのだが、その記録は、それを書いた人によって違っていることに気が付いた。
 つまり、人によっては明治が偉大な革命の時代であったといい、また別な人によれば裏切られた革命であったというのである。歴史には様々な側面があり、それを見る人の目的や、置かれた状況や時代などによってさまざまな姿に見えるということである。そして、新しい事実が次々に発見されてゆき、書き換えられてゆくのである。
 このことは、何も歴史に限られたことではない。私が経験したバーチャルヴィジョンはまさにそれである。私の決断や思考、想像により事実が変わってゆく。それは、明治の時代においても、ほかの時代においても同じである。例えば新聞にある事実が、それを書く記者によって違う風に記され、またそれを読む人によっても違う風に解釈され記憶されてゆく。
 歴史は現在生きている人が、その未来をどのように思っているかによって、過去を新しく創造してゆく行為なのだろう。
バーチャルヴィジョンの世界も、現実の世界もそのことに変わりがないのである。私は真実などというものは掴みようがなく、そこには自分自身の信念が関係しているのだと思った。
 結局またも人の精神の問題に立ち返ってしまう。この世界は、それを見る人によって揺らいでいく世界のように思える。私が、箱根の山を越えてこの別の世界へ来てしまったのは、ここに何か私が生きるべきこと、知るべきことがあるのだろう。そう思うと、ここですべきことは、今あるこの世界をよく見ることなのだと思えてきた。
 その時ふと、あるお坊さんが唐の長安を訪ねた時の記録が目に留まった。このお坊さんは青森の下北半島にある恐山で修業をし、霊感を得て唐へ渡ったのだという。この記録の作者は安東と言い、やはり若い時に夢でお坊さんに会い、それで修業をしたのだという。私は何故か、その記録が気になり借りて帰ることにした。
 横で寝ている次郎を起こし、せわしなく図書館中を嗅ぎまわるラムを呼んだ。しかし、ラムは私が呼んでも無視をする事が多い。おやつのジャーキーを待っているのだ。緑のカバンの中にジャーキーがあることを、私は知らなかったのだが、なぜかラムは知っていた。今では、私よりもジャーキーの方が気になっているのである。図書館の中を嗅ぎまわるのも、警戒しているというよりも食べ物を探しているようにしか思えない。
 ともあれ、ラムと次郎にジャーキーをあげて、一緒に神社に帰ることにした。

ロクサーヌ (その57)

2140年7月20日(水)トーキョー
 私は、昨日借りた本を開いてみた。
『私は安東光輝と申します。この本を開いて頂き誠に有難うございます。この本は、私が、我が師と仰ぐバラモン僧宝月和尚様の記録であります。この本を書いた目的は、宝月和尚様の教えの一端を非力ながらもお伝えしたいと思ったからであります。
 ところで、私は宝月和尚様に実際に会ったことはありませぬ。唯に私の夢の中でのみお会いしたのでございます。それゆえ、この本に書かれていることが事実なのか、とお疑いになられてもやむを得ない所以でございます。しかしながら、貴方様がこのように本を開いておられるということが既に私たちの奇縁であり、宝月和尚様のお導きによる所であろうと存じます。
 さて宝月和尚様の記録の前に、私がどのようにして宝月和尚様と出会ったのかをお話しさせていただきたいと存じます。
 私こと安東光輝が、仮初めに一夜の雨宿りのつもりでこの世に生を受けましたのは1957年のことでありました。その家は九州の今は廃坑となった炭鉱の住宅で、破れ障子のあばら家に一家7人と云うありさまでした。私は5人目の歓迎されざる子供となったわけですが、それでもほんの一時の事、仮の宿と思って我慢することにしたのです。
 それが、今年2047年を持って90歳になり思いの外長く、この世に居させて頂いていることに我が事ながら驚き感謝しております。
 私が生まれた時には、父は北海道の炭鉱に行き、母も働いており、10歳上の姉が面倒を見ることになりました。ミルクを買うお金もなく、米のとぎ汁で育てたと聞いております。また姉も学校に行き、帰ってからは外で遊びたい年頃でしたので、私が動きまわる1~2歳の頃には、柱にひもで括り付けて出かけたのだと姉が申しておりました。そのせいか、私は生来ひねくれ者で心の奥の方に恨みを抱いておったようです。
 そして、さまざまに反抗していたのですが、ある日、保育園に行くことになりました。それだけは絶対に嫌だと(集団生活が恐怖だったのです)、両親に必死に頼んだのですが、認めてもらえず、その日を境に一切の反抗を辞めたのです。
 私は、義務教育というものを調べ、親には子供を教育する義務があることを知りました。それで、その義務が終わる15歳までは一切のことを我慢することに決めたのです。保育園で家族の絵を描くことになり、私も描いたのですが、どうしても顔を描くことができず私の描いた家族は全員後ろ姿でした。先生が心配して家に来られたのですが、家族からは特に叱られるわけでもなく、ただ「先生がそう言っていたよ」と伝えられるだけでした。
 今にして思えば一種のネグレクトではないかと思いますが、私自身、特に構って欲しいとも思っていなかったので家の中で不自由な思いをしたことはありません。けれども姉が博多のパチンコ屋で働く様になった時に、母から言われて、『生活費を送ってください』と手紙を書かされた時には嫌な思いをしたのを覚えています。そんな風にして15歳までは、親の言いなりで生きることになったのです。』
 安東の話はまだまだ続くのだが、ラムも次郎もすっかり飽きてしまっているようなので、私は2匹を連れて散歩に出かけた。

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歴史的事実に改編を加えた妄想小説です。

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