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ロクサーヌ (その60)

2140年7月23日(土)トーキョー
『助手席のドアと、後部座席の2つのドアはつぶれていました。開いたのは、運転席のドアだけだったのです。トランクルームには宝石を入れたアタッシュケースが入れてありました。宝石は約1億円分でした。恐る恐る、開けると、無事でした。
 私は、あちこちに痛みを感じましたが、無傷でした。やがて、警察の車が来て、私は、警察署に行ったのです。取り調べを受け、私は、居眠りだったと伝えましたが、担当の人は親切にも、わき見運転に変えてくれました。罪の重さが違うのだそうです。その後、顎がひどく痛むので、病院へ行きました。検査の結果以上はありませんでしたが、左腕が痛んでいたようで、ギプスをしました。
 私は、下顎の痛みを訴えましたが、何の異常も認められませんでした。ただ、お医者様が言うには、「唇の内側に小さな穴が開いており、まるで鋭い針のようなものを突き刺し、引き抜いた後のようだ」と仰っていました。医者にも理由がわからないとのことでした。 私は、会社に連絡をして、1億円の宝石の入ったアタッシュケースを届けました。
 自宅に帰ってから、事故のことを振り返り、激しく後悔すると同時に『起きろ』と『生きろ』と聞こえた声を不思議に思い考えていました。そして、その夜夢を見ました。恐山と思しき霊場から、一人のお坊さんが飛び立ち、『大唐長安城』と書かれた、ネオンサインのある街の通りへ入ってゆく夢でした。そのお坊さんは、何も言われなかったのですが、私には宝月和尚様だとわかりました。
 そして、私に向かって、『起きて、生きよ』と、言葉はありませんでしたが、そのように言われました。宝月和尚様が言われたことは、これがすべてでございます。
 私は、起きて考えました。私は、私があれほどの事故をおこしたのに、無傷であり、運転席のドアとトランクルームだけが無事であったことに驚いていました。私は、生かされたのだと思いました。何かをまだしなければならないのだと思いました。
『起きろ』とはどういうことなのか考えました。私は、朝起きて、顔を洗い食事をし仕事に行き、昼に食事をし、また働き、夜にまた食事をする。その後は、遊ぶかテレビを見るかして1日を終え眠る。ほぼ、これの繰り返しでした。そこでは、起きていても毎日同じことを繰り返すだけで、寝ているのと変わらないように思えました。
『起きて生きる』とは何か、この事が頭から離れず、毎日少しずつですが考え続けました。』
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ロクサーヌ (その61)

2140年7月24日(日)トーキョー
『私が思う大事なことは、頭を真っ白にして、自分で考えるということです。毎日をただ日常のことで埋め尽くしていると、頭はそれらのことで一杯になり考えることができません。考えるとは、言葉で埋め尽くすことではありません。
まず一度立ち止まって、頭の中から、言葉を取り除き、様々な頭を埋め尽くそうとする事柄から解放しなければ、考えることはできないのです。これは、人から言われてできることではありません。
頭に浮かぶ言葉を消す、という作業を実際に試して頂ければわかって頂けるのではないかと思います。
 言葉を使わずに思考することが果たしてできるのか?
日本語であるとか、英語であるとか、フランス語であるとか、それらの教えられ、条件づけられた言語を取り除くと、その先に言葉ではない世界が見えてきます。例えば、ベランダから見える公園の木々の緑を、ただそのまま見ているとき、美しいと感じるとき、言葉に置き換えずにただ感じるのです。それは言ってみればメタ言語です。言葉を超越して理解されるのです。
私にとって、宝月和尚様の存在は真実であって、事実ではありません。
真実とは、証明され得ない何者かの全体の一片であり、一様相であり、一筋の光明であります。
事実とは、証明され既に死滅した事柄の集合体です。ゆえに、宝月和尚様は私にとって真実なのであります。
 私がこの本を書いているのは、今現在幸せな人、充実した人生を送っている人のためではありません。
そのような方は、この本で心を乱されることのないように今直ちに閉じられたほうが宜しいかと存じます。
 溺れる者は藁をもすがると言います。私は,その一本の藁となって非力ながらも溺れ苦しむ人に手を差し伸べたいと思っています。
 それは、体育館の片隅でじっと独り座っている子であり、傷ついて心が血だらけになって穴から少しだけ顔をのぞかせているウサギであり、人生の重みに悩み苦しむ大人であり、あるいは、過去の死んでしまった私であり、これから生まれようとしている未来の私であり、どこかの違う世界でたたずむ私であり、どこかの違う世界で今、生きようとする私への手紙でもあります。
 私が今、言えるのはこれだけです。講釈が長すぎたようです。申し訳ございません。
私は後もう100年ほどは生きて学び続けたいと思っています。もし、10年後まだ生きていて、何かを学びとることが、できたならまたお会いすることができるかもしれません。今はこれで失礼いたします。さようなら。』
安東光輝の本は、ここで終わっていた。

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歴史的事実に改編を加えた妄想小説です。

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