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ロクサーヌ (その70)

1990年10月26日(金)錦糸町
 私kは、この日長期延滞顧客のリストをもって、東京から山梨までのエリアを朝から車で巡回していた。移動距離は一日で300kmになる。
 朝から雲行きが怪しかったのだが、夜になって大雨になっていた。
最後の顧客は、大沢という元特攻隊の生き残りで、戦後は関西の暴力団で金バッジだったという老人だ。全て自称なので、確認するすべはない。その老人は、多摩川のそばに自力で家を建て、その家に行く為の国道沿いの細い坂道も自力で作っていた。
 激しくなった雨の中を、奥多摩にあるその家に向かった。そして、国道沿いに車を止め、坂道を歩いて下るその時に、私は『以前ここに来たことがある』と思った。
 家の前で老人を呼ぶと、犬が激しく吠えた。老人は、玄関の引き戸を開けると同時に『お前、また来たのか!』と怒鳴りながら、鎌とノコギリを振り回した。顔には、殴られたような跡が見え、目と唇が腫れていて腕には包帯が巻かれていた。彼は、私を誰かと間違えているのだが、興奮していて、こちらの話を聞く余裕はなさそうであった。
 そして私は、傘を持ったまま、じりじりと追い詰められていた。その時、私はこのままでは、またこの男を殺してしまう、と思った。
それは、絶対に繰り返したくない、と思い、とっさに傘を捨てた。
同時に老人は、よろけて転んだ。
 私は、振り向きもせず坂道を駆け上がり、車に乗り込んだ。そして、国道をもどったのだが、
一瞬、置いてきた傘が気になった。傘には私の指紋がついており、かつてそのために私は警察に捕まったからだ。だが、戻っている時間はない。
 車のアクセルを加速した。すると、前方左手に一台の白い車が止まっているのが見えた。私は、雨の中スリップすることを恐れながら、ブレーキを踏みこんだ。間に合わずに、右にハンドルを切った。それでも、私の車の左のフロントが、白い車の右のテールランプに接触し、私の乗った車は右側のガードレールにぶつかった。その先は、崖であり、その下は多摩川の濁流になっている。
 ギリギリで車は止まったが、今度は前方から、ダンプカーが大きなクラクションを鳴らしながら
突っ込んでくる。一旦バックして、大きく左にハンドルを切りながらアクセルを全開にした。同時に私には、怒りにがわいてきた。『こんなところで死にたくない、この運命の全体に負けたくない、絶対に突破してやる』と思ったのである。
 全身の細胞が沸き立つ感じがした。そして、ダンプカーとすれ違いながら、私の車は、左の崖の岩肌に激突して止まった。
 幸いに、私の車は、動くことが可能だった。錦糸町へ向かう車の中で、私は運命に勝った、ような気がした。何が、と云う分けでは無いのだが、気分は高揚していた。
そして、錦糸町のアパートに着いたのだが、そこにはヒョンニもインチョルも誰もいなかった。二人の荷物も消えていた。
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ロクサーヌ (その71)

2140年8月2日(火)トーキョー
   私ロクサーヌは、今日は朝からラム・次郎と一緒に「トシマクの森」という公園に出かけた。
平和通りの近くにある公園で、中には小さな森と、トンボの池と、ロッジなどがあり、散歩するには丁度良い広さだ。しかし、受付には誰もいなくて、ロッジも閉鎖され、森の中の小道には蜘蛛の巣が沢山かかっていた。
 ロッジが閉鎖された理由は、不適切な利用があったためだという。
この公園は、壁の外側にあるため、移民エリアなのだが、適切な維持管理がなされなくなったのだ。
 ベンチに腰掛けてお弁当を食べている、ひげを長く伸ばした男性がいた。
ヨセフという人で、先祖はカスピ海にあったハザール帝国の貴族だったという。
 私は、懐かしくなってその人の話を聞いてみた
なぜ、懐かしいのかというと、ハザール帝国というのは、私たちソグド人がシルクロードを旅していた頃、カスピ海から西に商品を運んでいたのがハザールだったからだ。
 ハザールは当時イスラム教徒と、キリスト教徒が勢力争いする中で、あえてユダヤ教を選んだ国だ。それは同じ頃、東のウイグル帝国がマニ教を国教としたのと同様である。ハザール帝国で商売を担っていたのがユダヤ人で、ウイグル帝国で同じ役割を担ったのが、私たちソグド人だった。
 8世紀から10世紀にかけての話なのでずいぶん昔のことではあるが、なぜか親しみがわいたのだ。
 ヨセフによると、この公園を移民たちに任されたとき、それは義務ではなく権利だった。
しかし、権利には当然責任が伴うのだが、人々は、責任を負いたくなかったのである。
ただ、公園を使う権利だけは欲しがっていた。それで、壁の向こうの人たちは『自由にして良い』と言ったのである。結果、公園を清掃したり、見回って維持管理をしたり、不適切な利用を行う人を注意する、などの役割を果たす人がいなくなり、公園は荒れてしまったのだという。
 でも、この頃では、移民たちの間でも意見が分かれ、自分たちで自主的に清掃したり見回りしようとする動きが出てきているという。一方では、強制されるのは嫌だ、という人もいる。
義務というのは、それを成し遂げようという意識のある人にとっては、『責任』なのだが、それを行うつもりのない人にとっては、『強制』になってしまうものなのだろう。
ヨセフはその責任のことを先祖の伝統に従い『ノブレス・オブリージュ』と呼んでいた。

ロクサーヌ (その72)

2140年8月3日(水)
ヨセフは見たところ、目が不自由そうであった。
「いやあ、貴族の責任だなんてカッコいいこと言いましたけど、実は私は目が不自由で、全く見えないわけではないんですけど、遊牧民としては致命的だったんです。
 馬に乗れないわけではないし、何とか長男としての責任も果たしたかったんですけど。もちろん手術をしたり、機械に頼れば見えるようには為ったんでしょうけど。
 どうにも自分が歯がゆくて、若い頃には自分が誰かの世話になるというのが許せなかったんです。
 それで、家を弟に譲って、旅に出たんです。
でもどこへ行っても結局、目が不自由なものだから、自分の思うようには行かなかったんです。
プライドだけは高かったんですけどね、現実はただの役立たずでした。
 それで、地球を西へぐるっと回って、ヨーロッパ、アメリカ、そしてこの日本に来たんです。
今は、もう48歳になります。
 でも、ここトシマクの平和通りにきて、よかったと思っています。
ここでは、例えば、私が目が見えないために転んだとしても誰も笑いませんからね。
みんな、自分自身の人生そのものが、滑ったり転んだりしてるんですから。
他人を笑えた義理じゃあないんです。
 この公園に住み着いて、配給されるお弁当を食べているうちに何か自分にも出来る事がないかな?と思えてきたんです。
そんな時にロービジョンの絵描きさんたちがいるって聞きましてね、絵を見せてもらったんです。とても奇麗でしたよ。透明水彩画っていうらしいんですけど。
目が悪いのに、絵を描いているんですよ!
 私には本当はよく見えなかったんですけどね。
その心を聞いただけで、美しいって思ったんです。でね、私も頑張って、この公園で少しずつ、清掃を始めたんです。見えないけど触ればわかりますから、出来ることをね、自分の役割を果たしていこうって思えたんですよ。ハッハッハ。今頃になって何言ってんだか、笑っちゃいますよね。」

ロクサーヌ (その73)

2140年 10月 ウイーン
 私オリガ・スベトラーナは、ベラルーシのスモレンスクで生まれた。
先祖は、198x年に起きた核施設の爆発の為放射能を浴びた。
その為、私には生まれつき2つの顔がある。もう一人の私の顔は見たことがない。
 彼女は私の後頭部にいて、私とは反対方向を見ている。彼女の顔は私より少し小さく、いつも髪の毛に覆われている。私は首にスカーフを巻きいつも彼女の顔を隠すようにしている。
 彼女は言葉を発したことがない。誰も彼女に話しかけないからだ。
だから、私は彼女と話したこともなく、彼女がどんな思いでいるのか知らない。
私は密かに彼女をカーチャと呼んでいる。
 今私は研究者としてウイーンの ERU(ヨーロッパ・ロシア連合)の研究所にいる。
ここで、新しい量子コンピューターの実験をしている。
世界の未来の複数性と人間の意識についての研究である。
研究の目的は、文明の衰退を防ぐ方法を探るためである。
私達の文明は、一つの社会であり、有機体である。つまり、文明それ自体が一つの生命体であると認識している。その為、文明は成長しやがて老いて死んでゆくのだ。
それがつまり、文明の衰退の原因だと思っている。
 私たちは、この文明の構成員であり、一つの細胞である。
それぞれに自分の役割を理解し行動している。
そうすることが、文明全体の生存に有用だからである。
もし、各個人が、その認識を誤り、生命体である文明を傷つける行動をとれば、
それはガン細胞と同様に処理される。
それが ERU の出した結論であり、社会の総意である。文明の維持が優先される。
 ニッポンのチームが出した世界の複数性という理論はもうすぐ失敗に終わるだろう。複数の未来の可能性は確かにあるのだが、我々の現実は常にそのうちの一つを選択するからだ。選択されることのなかった他の未来は、永遠に消え去ってしまう。現実は常に一つしかないのである。
 だからと言って、その選択された未来が正しいとは言えないと思っている。
私は、ヨーロッパとロシアの歴史に疑問を持っている。

ロクサーヌ (その74)

2140年10月 ウイーン
オリガ・スベトラーナの独り言
 198x年の核爆発のとき、私の先祖の一人は消防士をしていた。
その日、彼の妻は、生まれてくる子供のために、彼と一緒にミンスクの病院に行くはずだった。
だが、彼は緊急の仕事で呼び出され、何が起きたのか知らされないまま現場に急いだ。

 核施設での爆発と火災で、現場は混乱していた。彼は、何も準備せず(防護服もなく)中に飛び込み焼けて傷ついた人を救おうと懸命の努力を続けた。やがて、政府からの指令で、核施設はコンクリートで固められることになった。彼を含め数名の人が生死不明のまま埋められたのだ。その事実は、政府が崩壊するまで明らかにされることはなかった。
 彼の妻は、事実を知らされぬまま、人々が逃げ出すのを不思議に思い、同時に夫を心配した。
やがて、村一帯を放射能が襲ったのだが、そのことも知らされることなく、強制的に移動が始まった。もう彼と会うことも出来なくなった。
親類を頼って避難したミンスクでは放射能検査を受けた。
 ここで初めて事態を知った。子供はあきらめるように言われた。
しかし、あらゆるつてを使って子供だけは守ろうと決心した。
夜になると、病院のベッドのそばに彼の魂が訪れ、勇気づけてくれたそうだ。
女の子が生まれた。その子が私の先祖でカーチャと名付けたそうだ。

私たちの祖先が、その昔ヨーロッパの北東部に現れたころ、周囲は、イスラム教徒と、ユダヤ教徒のハザール帝国と、ビザンツのクリスチャンとローマのカトリックに分かれて争っていた。
 十字軍がビザンツの求めに応じて、パレスチナを攻撃した後、その一部は、北に流れてきた。
北の十字軍と呼ばれている。そして、私たちの周囲にいた異教徒を攻撃した。私たちの祖先は攻撃から逃れるため、あるものはクリスチャンになり、あるものはカトリックになった。
 私たちのうち、カトリックになったものはポーランド人やリトアニア人と呼ばれ、クリスチャンを選んだものはベラルーシ人やウクライナ人と呼ばれている。私たちは東のクリスチャンであるロシア人と、西のカトリックであるドイツ人とに挟まれ、引き裂かれたのである。

 今から200年前ファシスト全体主義とボリシェビキ全体主義によって5度目のポーランド分割が行われた。捕虜となったポ―ランド人25万人がボリシェビキの収容所に連行された。
194x年ベラルーシのスモレンスク近郊で1万人以上のポーランド人がボリシェビキによって銃殺された。その事実は、194x年にファシストによって調査され公表されたのだが、ボリシェビキは否定した。194x年ファシストの降伏後、民主主義アメリカ連邦によって調査されボリシェビキの犯罪であると報告されたのだが、民主主義アメリカ連邦大統領によって否定された。
 ボリシェビキ崩壊後にその事実は改めて、ボリシェビキによる虐殺であったと公表されたのだが、「ジェノサイド」であったとは認定されてず、「スターリンによる犯罪」だったとされた。
ボリシェビキによる犯罪はアメリカと、ヨーロッパと、ロシアによって黙認されたのである。

以上が私が、ヨーロッパとロシアの歴史に疑問を持っている、理由である。

ロクサーヌ (その75)

2140年8月6日(土)トーキョー
  その人は、トシマク平和通りの喫煙所で、紺とピンクの日傘をさして立っていた。髪は金色と茶色で巻き上げられ、黒いサングラスをかけ、耳には星のピアスがあり、剃り残した口ひげが数本のぞいていた。手と足の爪はカラフルに塗り分けられ、胸が大きくはだけたグレーのワンピースに黒のゆったりした上着を羽織っていた。
 私は尋ねてみた。
「私はロクサーヌと言いますが、少しお尋ねしてもよろしいですか?」
「ええ、何かしら?」
「あなたは LGBT ですか?」
「何よ、失礼ね。いきなりLGBTって、どういうこと?」
「すみません、女性なのか、男性なのかわからなくて」
「そんなこと、どっちでもいいでしょ。あなたね、見た目で人をLGBTって決めつけて、レッテルはるのは差別の始まりよ。」
「ごめんなさい、お気に触ったのなら、謝ります。ただお話が聞きたかったので」
「いいわよ、私はそんな狭量な人間じゃないからね。私はね、女装男子よ。ただ、女の子が好きなだけで、女の子の格好がしてみたいのよ。でも、男の子もかわいい子は好きよ。でもね、LGBTとかってレッテル張られるのは嫌いなの。私は、私で居たいだけなのよ。」
「あなたは、日本人ですか?」
「もとは、日本人よ。でもね、自由に生きたいから、移民を選んだの。
あなたは、壁の向こうに住んだことある?」
「いいえ、私はないです。」
「向こうはね、つまらないのよ。何ていうのか、全てが生まれた時から快適で、言ってみれば、退屈なのよね。もちろん、バーチャルビジョンを使えば、いろんな経験もできるけど、結果は全部ハッピーエンドでしょ。もっとリアルな体験がしたいのよ。向こうじゃね、みんな幸せしか与えられないのよ。でも、言ってみれば、不幸になる権利だってあるでしょ。それが、認められないのよねー。」
「不幸になる権利って、何ですか。みんな幸福を求めて生きているんじゃないんですか?」
「あなたね、背徳って知ってる?決まりきった人生を生きたってつまらないと思わない?
別の言い方をすれば、悲しみや、苦しみを知らずに、本当の喜びとか、幸せってあるのかしら。
辛い目にあって、初めて感謝の気持ちも生まれるでしょ。生きていることの有難味っていうのは、不幸があってはじめてわかるものじゃない?
私は、そういう本当の喜びを知ってみたいのよ。その為には、最初っから楽してばかりの人生じゃ味わえないと思うのよ。だから私は、あえて移民になったの。
私は、それを勝手に『不幸になる権利』って呼んでるのよ。
なんて言うのか、光と影のはざまって言うか、だれも普通では経験できないような、胸の奥が苦しくなるような、そんな経験がしてみたいのよ。
ところで、あなたロクサーヌって言ったわね?」
「はい」
「あなたは、女の子?見た目は女の子だけど、本当は男の子でしょ。」
「どうしてですか?」
「だってね、女の子は、いきなり『LGBTですか』なんて、聞きかたしないわよ。女の子は、もっとその辺、人の心に敏感で自然に配慮しちゃうのよね。そういうトンチンカンなことができるのは、たいてい男なのよね。見た目じゃごまかせても、私の目はごまかせないわよ。でも、あなた、かわいいわね。もしよかったら、私と一緒に2丁目に行ってみない?もっと面白い人が一杯いるわよ。」
その人が、そう言い終わる前に、ラムが激しく吠えたてた為、その人は慌てて去ってしまった。
しかし、そう言われてみれば、私はなぜ女の子なのだろう。
私の元の人格であるkは男性のはずだ。それが、なぜ?



ロクサーヌ (その76)

2051年9月11日 錦糸町
 私kは、朝目が覚めると、改めて部屋の中を見渡した。やはり、ヒョンニもインチョルもいた形跡が無くなっている。テレビをつけると、ニューヨークで起きた、テロ事件の様子が繰り返し流されていた。ワールドトレードセンタービルへ、飛行機が突撃しビルが爆発して崩れていく様子だ。この日2001年9月11日の攻撃をきっかけに、世界は混乱の時代を迎えた。
 テレビは、この日の開戦50周年を記念した特集であった。
つまり、私は2051年の世界にいた。昨日、私は運命に勝ったと思っていた。何かを突破したと思っていた。それが何なのかは、分からないが、今私が過去から未来の別の世界に移動したのだろう。外へ出てみる。特に変わった様子は感じられない。錦糸町の駅へ向かって歩いてゆく。駅の手前の地下に『貿易風』という名の喫茶店がある。見覚えのある看板に惹かれ、中に入ってみた。
見覚えのある顔のマスターがいる。
「やあ、k君いらっしゃい。久しぶりだね」
「こんにちは。あの、僕のこと覚えているんですか?」
「もちろんだよ。君も、私のことを覚えていたんだね。」
「ええ、変わらないですね、ここは。」
「ああ、そうなんだよ。なぜか、ここは変わらない」
「マスターは年を取りませんね。でもどうして、飯田橋から錦糸町に移ったんですか?」
「街が、消えたんだよ。街が今どんどん消えているんだ。」
「街が消えた、のですか?マスターから見て僕は変わりましたか?」
「いや、君も変わらない、学生の頃のままに見える。
君から見ても、私はあの頃のままに見えるのか?」
「ええ、あの頃のままに見えます。どうしてなんでしょう?」
「私がここに来たのは、2023年だ。その頃から、世界が少しずつ消滅し始めたんだよ。
でも、私はなぜか年を取らずに初めはむしろ若返っていった。
私が特別なことをしたわけではない。毎日コーヒーを入れていただけだ。
でも、外の世界とは、時間の流れがずれていった。
この店の中だけが、特別なのか、世界が変わったのかはわからない。
しかし、この世界に異変が起きているのは確かだ。
そして、k君も私が見えるということは、君にも異変が起きているということだ。
私は、今時の狭間にいるのだと感じている。k君も、時の狭間にきてしまったんだよ。私は、毎日コーヒーを入れるということを繰り返している。
もし、それをやめたら、外の世界のように消滅するのではないかと、恐れているんだ。」
私には、マスターの言う時の狭間が何を意味しているのか分からなかった。
街が消滅して居る、ということの意味もまだ分からなかった。

ロクサーヌ (その77)

2051年9月11日 錦糸町
私は、マスターに『消滅』について、もっと詳しく聞いてみた。
「消滅は、初めは山手線の内側の再開発だと思っていた。
老朽化したマンション、ビルなどを立て直すために、立ち退きを迫られたんだ。
それで私は、山手線の外側に移った。
 その頃、世界では、イスラムのテロや、貧困からの移民や、各地域での内戦などが頻発していた。アメリカは世界の盟主であることを辞めた。アメリカ大陸の中での移民や、内戦が大きくなりすぎた事もその原因の一つだ。
 ユーラシア大陸では、中国とインドの争いも激しくなり、更にイスラムの中での宗派対立もエスカレートすると言った状態で、アメリカが世界を統治するメリットが無くなったんだ。アメリカはその科学技術とエネルギー革命で益々繁栄し、ユーラシアや太平洋諸国を必要としなくなった。
 ユーラシアでは、ヨーロッパとロシアが同盟を結んだ。中国に対抗するためだ。
世界は、いくつかのブロックに分かれたが、実際に戦争が起きたのかどうかは知らない。
 ただ、2040年頃には、日本でも変化が起きた。山手線の内側には皇居を除いて、全ての建築物が無くなった。アスファルトで固められたんだ。そして、新しい法律によって空き家や、相続されない建物はすべて国家の所有とされた。
人口も減少していたから、インフラを維持することもできなくなったんだと思った。
その内に、都心の一部に新しい街ができた。街が作り替えられているのだ。
この変化がどこへ向かっているのかはわからないが、山手線の内側の他の街はアスファルトに塗り固められすべて消滅した。
今はまだ、この錦糸町は以前のまま存在しているが、何時消滅しても不思議はない。」
「どうして、世界で戦争が起きたのかどうか知らないのですか?」
「戦争は実際起きたのかもしれない、しかし私の知る限り、戦争が起きたとは聞いていない。
 私は、テレビしか見ていないのだが、そのニュースが本当なのかどうか疑わしいと思っている。
というのも、一時インターネットが流行り人々は自ら情報を発信するようになった。
その時は、私もインターネットを見て、テレビとは違う情報に驚いたものだ。
しかし、情報があまりに多すぎるのだ。同じニュースが何百万回、何千万回、何億回と繰り返される。少しずつ違った情報も、膨大な数だけ発信される。
 知りたいニュースよりも、余計な知りたくない情報の方が多すぎる。たった一人の人間が一日にどれだけの情報を発信しているのか。その殆どは、プログラムされた情報のコピーに過ぎない、そんなものは欲しくないのだ。
 そして本当の情報を、生身の声というものを探し出すのはほとんど不可能に思えた。だから、テレビしか見ていない。そして、テレビでは、戦争やテロのニュースは見ていない。
2023年にこの錦糸町に来た時、私は63歳だった。今はもう91歳になる。ところが、私は、35歳の頃のままだ。世界は、変化した、今も変化している。しかし、私はもうその変化についてゆくのを止めたんだ。その為かどうかは知らないが、今私は自分の認識としては35歳に戻ってしまったんだ。」

ロクサーヌ (その78)

2140年 8月9日(火)トーキョー
 私ロクサーヌは、トシマクの2丁目を探していた。
道行く人に尋ねると、そこは平和通りの隣にある文化通りのことだろうという。
文化通りで探すと、ピアノバー「2丁目」があった。中に入ってみる。
この前喫煙所で見た人がいた。
「こんにちは、来てみました。」
「あら、まだ早いけど。まあいいわよ。そこのカウンターでまってて」
バーテンダーの人にアイスコーヒーを頼んだ。
「面白い人というのはどんな人ですか?」
「今来るわよ、コンさんっていうの。本人はコンスタンティノス・パライオロゴスだと言ってるけど、長すぎるのよ。」
コンさんがやってきた。
「皆さん、お待たせしました。私が、最後のローマ皇帝コンスタンティノス・パライオロゴスです。」
不思議なあいさつをする人だった。「最後のローマ皇帝とはどういう意味ですか?」
「私は、1453年5月29日コンスタンティノープルが、オスマン帝国の攻撃の前に滅亡した時の皇帝だった。前の日オレンジ色に光る夕日の向こうに、トルコ軍の10万の隊列があった。
私は、すべての市民と将兵に向けて最後の演説をした。
『命より大切にしなければならないものが4つある。第一に我らの信仰、第二に故郷、第三に神の代理人である皇帝、最後に肉親や友人である。それらの為に我らは命を懸けて戦う。キリストへの信仰の為、故郷の為に死ぬのだ。』
深夜になって、トルコ軍が攻めてきた。必死に戦ったが、ついに夜明け前になって、城壁に三日月の旗が翻った。私は、死に場所を求めて、城壁の外へ、トルコ兵の中に突撃したのだ。
すると、どういうわけか、このトシマクの壁の外に出てしまった。」
「あなたは、すると、死に場所を失ってしまったのですね。」
「そういうことになる」
「私は、文明の衰退がなぜ起こるのか、その答えを探しているのですが、分かりますか?」
「衰退ということについては、私ほど詳しいものはいないと、自負している。
何しろ、ビザンツ帝国と言われてから、1千年、ローマ帝国から数えると、2千年の間、衰退してきた。もちろん初めは成長し繁栄したのだから、その分を差し引けば、1500年くらいかも知れないがね。」
私は、そのことについて詳しく聞きたいと思った。
しかし、ラム・次郎は店の『おつまみセット』が気になっているようだった。

ロクサーヌ (その79)

2140年 8月9日(火)トーキョー(2)
最後のローマ皇帝コンスタンティノス・パライオロゴスが言うには
文明の盛衰は、気候変動に関わっている。
「ローマ帝国が拡大した頃は気候が温暖な時期でそのため、帝国はヨーロッパ北方に拡大した。
しかし、紀元1世紀から紀元3世紀にかけての寒冷期に食糧生産の減少や異民族の侵入などが起きて衰退が顕著になった。経済的には大規模農業の自給自足化、税収不足を補うための課税強化、そのための帝国内の全自由民に対するローマ市民権の付与などの対策をとった。しかし、異民族の侵入とそれによる経済の衰退、流通の減少、軍事費の増大という悪循環。そしてインドとの季節風貿易の拡大による金の流出など。
そのような、政治軍事上の不安定化と、経済上の衰退は人々の心に不安をもたらした。
その結果、かつての信仰は失われ、人々は、ミトラ教、、キリスト教、マニ教などの異教に改宗するようになった。
 私が思うに、文明社会には、共通の価値観と、軍事力を通した政治の安定、活発な経済力、自由な気風、情報伝達の容易さ、などが整っている必要がある。
しかし、気候の寒冷化はまず、経済の不振に表れ、その結果としての軍事上の敗北、更に人心の不安定化による、共通の価値観の喪失を招いた。
そのようなことが重なった結果、西ローマ帝国は滅んだ。
 東ローマ帝国はむしろ、最初の危機を乗り切ったと言える。
それは、エジプトやシリアといった地域がまだ経済的に豊かだったからだ。
共通の価値観としてキリスト教を選択し皇帝を神の代理人とすることで、ローマの価値観を再生させた。しかし、6世紀に起きた火山の噴火は、再び世界に異常気象をもたらした。それは、帝国にとって重要なシリア、パレスチナ、エジプトの経済を崩壊させた。 
そして、アラビアで精神革命がおこりイスラムが興隆し、シリア・エジプトは奪われた。
人々は、ローマやキリスト教の価値を求めていなかったのだ。
その後も帝国は危機を政治上の改革を通して乗り切ったのだが、14世紀からの寒冷化は乗り切る体力がもうなかった。
その頃オスマン帝国が現れ、私たちは西欧に助けを求めたのだが、助けはなかった。
 私が、思うに太陽の黒点活動による気候変動は、人間の活動に直接影響を与える。
寒冷化の時代に技術の革新や思想・精神の革新を行い乗り切ることで、温暖化の時代に発展する。
それを繰り返してきたのだ。従って、温暖化の時代の幸運をただ受け取るだけで、傲慢になり怠けていると、次の寒冷化の時代に滅びるということだ。
備えるべきは、次の寒冷化だと思っている。」

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