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ロクサーヌ (その92)

2140年 8月23日(火)トーキョー
私は、ご主人様たちを救い出すために、もう一度タワーに行かなければならない。
でも、争いではなく、話し合いで解決したいと思っている。
その為に、もう一度自分の考えを整理したいと思った。

日原にある龍神の鍾乳洞にもう一度行ってみることにした。

  この山道はバスで行くのだが、何度来ても怖い気がする。高い山と、深い谷は、人を寄せ付けないものを感じさせる。バスを降りて、しばらく歩き鍾乳洞の前に出た。
瀧の前で拝んでみるのだが、だれも出てこない。やむなく、鍾乳洞の中に入ってみた。
こういう暗い穴は、ラムたちも嫌がっているのだが、無理やり連れて行った。

しばらくすると、奥にろうそくの明かりがあり、礼拝している人がいる。
何をお祈りしているのか、聞いてみた。

「私は、生まれつき目が良くないのですが、その分人の心や気配といったものに敏感なんです。
ただ、そのせいか人の悪意や傲慢さ、増長さなどにも敏感でそれで不快に感じることも多いのです。

私の目が悪く、そのせいで失敗することも多いので、人から不快に思われたとしても、それは仕方のないことだと思っています。もとをただせば、自分の身から出てきているのだと思い、それで仮に不快な目にあったとしても、それで人に不快な思いをぶつけ返すことの無いようにと、自分の心を正しくしてくれるようにと、お祈りしているんです。」

「でも、あなたの目が不自由なのは、あなたの所為ではないのだし、そのことであなたが不快な目に合うのは、理不尽なのではないでしょうか?」

「ええ、私の目が不自由なのは、確かに責められることではないのですが。
その私の失敗のせいで、誰かが不快な思いをしたとするのならば、それはやはりその人にとっては理不尽なことなのではないかと思うのです。
なので、その人が私の所為で理不尽な目に合うのであれば、私はその人を責めることはできないと思うのです。

その人が、理不尽な目にあったことで、私に不快な態度を示したとして、それに対してまた私が抗議したとすれば、争いの繰り返しになってしまいます。

 誰かが、自ら争いをやめない限り、どちらにも理不尽な目にあった、という被害者意識があり、正義を主張する理由があるので争いは終わらないと思うのです。

 勿論、私が目の不自由なことをその人に説明して、その人にもっと寛容になるべきだと諭す、
ということもあるのかも知れませんが。
しかし、それは、逆の立場になればとても不愉快なことだと思います。

人に寛容を求めるのであれば、まず自らが寛容であるべきではないのか、と思い、そのような人間でありたいと思い、お祈りしているのです。」

「それは、つまり世の中の理不尽さに対して寛容でありたいということでしょうか?」

「いいえ、自分の至らなさ、自分の所為で人に迷惑をかけてしまう、そのことに対して寛容でありたいと思うのです。

自分が、人に迷惑をかけてしまうのはどうにも止められないので、できればそのことを赦してもらいたいと思います。

 そして、人に赦しを請う以上は、まず自分が人を赦すことが先にあるべきなので、その為には、自分自身の至らなさをまず自分が赦す必要があり、それができれば人に寛容になれ、そうすれば廻り回って人が自分を赦してくれるのではないのかと思うのです。

だからと言って、迷惑をかけないよう努力しない、という意味ではありません。
それは、当然大前提です。その上で、やむを得ず起こしてしまう失敗のことです。」

この人の話は、とても回りくどいのだが、確かに争いを止めるのには誰かがまず止める必要があり、その誰かとは自分自身の他にはいない。
人に赦してもらうためには、まず自分が赦すというのも分かる気がした。
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