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ロクサーヌ (その94)

2140年 8月25日(木)トーキョー

タワーで私はウシュパルクに話した。

「最初に、まず言っておきたいのですが、私の友人を捕らえた状態での話し合いは、犯罪的であり、少なくとも、文明の衰退について心配する人の取るべき態度ではないと思います。私の話に、納得するしないに関わらず解放してほしいと思います。」

ウシュパルクは言った。「君の心配はもっともだと思う。彼らを解放することを約束しよう。
この映像を見たまえ。彼らの現在の様子だが、心配するようなことはないと思う。彼らは無事だ。」

その映像では、友人たちは、雑談をしながら食事を楽しんでいるように見えた。

私は、今まで見聞きした、ローマ帝国皇帝の話や、ハザール帝国の子孫の話、2丁目の話や、ビジョニスタの話、そして龍神の話などをした。

「今まで、私が見聞きしたことは以上のようなことです。そこで、先日は人々の『責任』ということについて話したのですが、今私が思っていることは『心』についてです。

壁を作るのは、必要だったのかも知れませんが、人の心に反するものだと思います。

『心』というものが、他人を思い遣ることだとすれば、壁を作るのはその思いやりにかけていると言えます。壁の外に取り残された人は、自分は外されたのだ、と思うのではないでしょうか?

勿論ルールを守ればよいのかも知れませんが、ルールを必ずしも守れない場合もあるのではないでしょうか?そのような人も含めて、全員を守るのが文明ではないでしょうか?」

「しかし、それではルールを守ろうとする人たちは、どうなるのだろうか?
彼らこそ『責任』を果たそうとしているのではないのかね?」

「はい、そうだと思います。でも、その上で尚、責任を果たせない人に対しても思い遣るのが『心』だと思います。それを考えるには、文明や文化とは何か?ということを考えなければならないのですが、今の私には、まだ難しいのです。

ただ思うのは、人は一人では生きられないので、社会を作り協同して社会を守っているのだと思います。

それは、きっと一人では、飢えや、寒さや、病気などの場合に困ったからだと思います。
そして、自然は時に残酷で、地震や台風や洪水などがあり、人は自然の前に無力で多くの人が死んでしまうからだと思います。そうしてそのような困難から身を守るために集まったのだと思います。

であれば、元々、一人では自分を守れない、つまり責任を果たせない人々の集まりだったのではないのでしょうか?そして、寄り添って生きる為に、各人ができることを果たそうとしているのが『責任』ということだと思います。

なので、『責任』は元来一人では果たしきれないことを前提としてあるのではないか?
そしてその果たしきれない『責任』を分かち合い助け合おうとするのが『心』の働きではないか?
と思うのです。文化や文明は、その為にあるのではないでしょうか。

そう考えたとき、思いやりをなくした人は、同時に社会の一員としての責任を放棄しているのではないでしょうか?
つまり、壁を作るのは一見すると、責任を果たそうとするように見えて、実のところ、『無責任』を生み出し、結果として傲慢さや驕りや怠惰を生み出し、やがて文明の衰退につながると思うのです。」

「そうすると、私たちに欠けているのは、思いやりであり、それが無責任につながり、傲慢と怠惰を生むということなのだね。」

「私は、そう思います。ですから、壁を作るのを止めて、社会の一員としての思い遣りを持って、
責任を果たす方向で考えていただきたいと思うのです。」

私は、愚かなことを言っているのかも知れないのだが、今考えられる精一杯のことを話した。

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