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NEXT LIFE 銀座の画廊 4

 晴海の港に船が着き、また出てゆく。何処から来て何処へ行くのか、船が着くたびに降りる人と、また乗る人が交差する。幾つかの小さなボートが遠く波の上を走ってゆく。

 港を過ぎて、左手に白バイ隊の訓練をする様子が見える。右手のホテルの1階の窓からランチの食事をする人が見える。港を背にしてさらに進むと、林立するタワーマンションが見え、そこを過ぎれば古びた昔からの倉庫街がある。倉庫街の路地に入れば冬の日差しにさらされた鰹節から、茶色い湯気がたち昇りぼんやりと空気を滲ませる。その匂いが鼻腔をくすぐり体いっぱいに入ると、突然日常がよみがえった。

 あぁそうだ、池袋に行かなければ、と用事を思い出す。その途端、あたりの景色は一変し、私は銀座の雑踏に立ち戻る。正面に西銀座のショッピングセンターが見える。後ろには銀座三丁目の交差点。ゆっくりと現在地を確認し、意識を呼び戻すと、道路を渡り地下鉄の入り口を降りていく。

 うねうねと続く地下道は工事中の所為か、より一層狭く複雑に感じられる。日比谷線のホームを過ぎて、丸ノ内線へ向かう。やって来た電車に乗り込むと椅子に腰かけた。

 先ほどまでの景色を思い返して、ぼんやりしていると、不意にドア付近に青い目の少女が立っている。少女は私に向かって「おじちゃん、船に乗らないの?何処へ行くの」と問いかけるので「おじちゃんは、しなければならない事があるんだよ。これから池袋に行くんだよ」と答える。

 「お嬢ちゃんはどこへ行くの、一人なの?」と尋ねると、いつの間にか隣に座った人が「あんまり話していると、おかしな人に思われますよ」と言うので振り向くと、黒いコートの女性だった。「おばちゃんは、どこへ行くの?」と少女が尋ねるとその人が「おばちゃんじゃないでしょ、お姉ちゃんでしょ」と言う。

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NEXT LIFE  銀座の画廊 5

 二人のやり取りを聞きながら、私はおじちゃんよりも、むしろおじいちゃんだけど、などと思う。「お嬢ちゃん、お名前は何ていうの?」「エリザ」「お母さんは一緒じゃないの?」「お母さんはいないの」と言う。

「おじちゃんは、何ていうの?」と聞くので、私は清原と答えて、あれ、そんな名前だったかなと、不思議に思う。そうだったかも知れない、と思い直し清原 真人(キヨハラ マヒト)と答える。

「あなたのお名前は?」と隣の女性に尋ねると、「木村 麗珠(キムラ レミ)です」と答えた。

「どうして、この電車に乗っているのですか」と尋ねると、「迷っているのです」と言う。「何故ここにいるのか、自分でも迷っているのです。ここに留まっていても仕方がないと、分かってはいるんです。でも、誰かに知ってもらいたいのです。私が、まだここにいることを。」

 電車が池袋に着くと「行かなければいけない用事がありますので。」と言い二人と別れて、西口へ向かって歩いた。

 池袋駅の西口公園を左に折れて、池袋警察署に着く。1週間ほど前に拾った免許証を北口の交番に届けていた。特に連絡は必要ないと告げていたのだが、もう一度拾った時の状況を詳しく聞きたいと連絡があり、その説明のために来たのだ。警察署では庶務係の人間ではなく刑事が応対した。

「拾ったのは、マンション敷地内にある自動販売機のそばの植込みの中です。時間は朝8時半頃です。拾ったその日に交番に届けました。ビトンのカード入れで中には免許証とクレジットカード類が入っていました。自分では詳しく確認していませんが、大事なものだと思い届けました。」

落とし主は、畔倉 香 住所は中野区大和町2丁目・・・。

NEXT LIFE  銀座の画廊 6

 刑事によると、登録された住所には畔倉 慶太という人物が居住していて、畔倉 香はその母親だが、随分前に失踪しているという。
免許証は既に失効しており、カード類も現在は利用停止になっている。
何故そんな人のカード入れが今更出てくるのか?

 警察は事件の可能性を疑っているようだった。
その為、第一発見者である私に詳しい状況を確認しているのだろう。
しかし、釈然としない。私は、拾得物を善意から届けただけなのだが、何か疑われているような不快感がある。

 結局、私の住所氏名と連絡先を改めて確認され、書類に署名をした。

 警察署を出ると、私は勤め先のあるマンションに向かった。そこは、首都高速5号線近くにあり問題のカード入れを拾ったマンションに隣接している4階建ての小さなマンションだ。

 1階には管理会社に関連する部屋があるが、管理人を見ることは殆どない。隣のマンションとの境界にはわずか15㎝程の隙間に笹竹が奥行10m程植えてあり、高く伸びて隣の敷地へと覆いかぶさっている。各階には1室しかないので、全部で4戸である。他の住人と顔を合わすこともまずない。会社はそのマンションの4階にあり、エレベーターがないので毎日階段を昇り降りしている。

 急な内階段の手すりはステンレスと鉄でできており唐草模様の装飾が施されている。各階の壁の窓はステンドグラスになっているのだが、外の光はあまり入らない。代わりにオレンジ色のランプが常に点灯している。

 壁には後から取り付けたと思われるエアコンやケーブルTVなどの機械類があり、工事中のような印象もある。全体に何か古びていて、しかもアンバランスで美しいとは言えないが、一方でまるで深い海の底で時を超えて生き延びようとする古代の甲冑魚のような、不気味で不可思議な廃墟の美を感じさせる。

 ここで働き始めて今年で5年目になるが、仕事の内容は殆ど電話番に近く、外出することはまずない。本社は大阪のウゴルという人材派遣の会社で、ここはその東京支店という形になっている。

 メインの業務は引っ越しのスタッフの手配だが、それ以外にも色々ある。デパートでの食材販売や、小口金融も手掛けている。それらの各種業務を4人の社員でこなしている。他の3人は外出が多く、私はほぼ内勤である。結果として電話番になっている。

 つまり、一日のほとんどを一人で、この古びた建物の中で過ごしている。

NEXT LIFE  銀座の画廊 7

 隣のマンションは10階建てで敷地も広く、駐車場も完備している。住民は様々で、半数は外国人のようである。その広い敷地の道路よりの端に自動販売機があり、植え込みは道路及びその向こう隣のマンションとの境界になっている。

 毎日そこへ行くわけではないのだが、そこで缶コーヒーを買うことが週に2、3度ある。だから、そのカード入れに気付いたのは、それがそこに存在してからそんなに日数が経過していないはずである。土日をはさんだとしても、1週間以内のことだろう。いや、隣のマンションの管理人が気付く可能性を考慮すれば、やはり1、2日以内の事だと思われる。

 と、そんなことを真剣に考えても仕方のないことで、私には何の関係もないのだから、却って藪蛇になってくだらない事件に巻き込まれることもある。それに、詳細に考えようとしても、実際のところそのカード入れを拾ったのがいつのことだったのかすらすぐには思い出せないのが現実だ。

 小人閑居して不善をなすというが、まさに今がその瀬戸際なのかもしれない。君子危うきに近寄らずとも言う。これ以上はこの件にはかかわらない方がよい。

 だが、年を取ると色んな意味で自制心がなくなる。そして、日中は話し相手、つまり暇つぶしの相手もいないのだからちょっとくらい妄想を広げても罰は当たらないかもしれない。

 そんなことをグダグダと考えていると、電話が鳴り、引っ越しスタッフの依頼が入る。

「ハイ、ありがとうございます。ウゴルです。」
「引っ越しのエイトの橋本です。至急で梱包スタッフ1名お願いします。」
「場所はどちらですか。」
「中野区大和町です。」
「何時からですか。」
「実は、午前の予定が、スタッフ1名欠員が出て遅れてしまっているんです。今すぐお願い出来ますか。」
「今ですか・・・わかりました。ちょっとだけ、折り返しさせてください。詳細をメールください。」
「ハイ、では10分以内でお願いします。」

NEXT LIFE  銀座の画廊 8

 当日の依頼はよくあることだ。スタッフ宛に一斉メールにすれば楽ではあるが、当日だと無視される恐れが強い。その為、中野区周辺のスタッフに一人ずつ電話をかけてゆく。
3人目で何とか了解を取る。

「佐藤さん、助かります。場所は中野区大和町のアパートで畔倉様です。午前の予定が遅れているので、今からすぐ向かってください。30分あれば大丈夫ですよね。詳細はメールで送ります。よろしくお願いします。」

 引っ越しのエイトに連絡を入れて、無事終了となる。
ほっとしながらパソコンに入力し始めて、『えっ』と思う。
中野区大和町の畔倉、『カード入れ』の家ではないか。

 その時、ドアのインターフォンが鳴った。
池袋署の刑事だった。
「現場の確認にきたので寄って見ました。何度か電話しましたがお出にならなかったので。」と言う。一緒に見てもらえますか、と言うので自動販売機まで案内する。

「落とし物を調べるのに現場まで確認するというのは、何かあったのですか?」と、私は疑問をストレートに投げかけてみた。

「いえ、何かあったというわけではないのですが、さっき話した通り、本人は行方不明で、息子さんとも連絡が取れないものですから。まあ、報告書に記載するためです。」

 私は、息子の引っ越しの話をすべきか、躊躇した。一市民としては知らせるべきだろうが、一方で会社に属する身としては個人情報の漏洩にもつながる。警察から正式な要請を受けているわけでもないのに、職業上知りえた情報をこちらから話すわけにもゆかない。

 理由はそれだけではない、刑事の方も情報を隠している様子だ。それが気に入らない。向こうが素直に話していれば、こちらの態度も考えるというものだ。

 知らせない理由は他にもまだある。刑事が現場に来るということは、やはり何かの事件に関わっているということだろう。だとすれば、これ以上首を突っ込むのはやめた方がよい、というまともな判断もまだかろうじて働いているからだ。

結局、引っ越しの件には触れずに帰ってもらった。

NEXT LIFE  銀座の画廊 9

 刑事が帰った後、まだお昼を食べていなかったことを思い出し、弁当でも買おうと思って歩き出した。いつもは、曲家亭という餃子屋の弁当を買うのだが、もう時間が遅いので売切れているだろうと思いコンビニへ向かう。

 突然、台風かと思う程の突風が吹いてきた。足腰の衰えからか前進することもままならず、その場で立ち止まるのが精一杯だった。ところが周りの人はいつも通りに歩いている。まるで私一人向かい風に立ち向かっているのか。これでは、コンビニまで歩くのも危険だと思い、目の前の角に見えた亞里庵という店に何とか飛び込む。

 初めて入る店だが落ち着いた雰囲気で何か高級そうにも思える。しかし、メニューを見ると餃子とチャーハンがあるのでとりあえずそれを頼んでほっとする。

 壁には、大きな額がかけられているが、馬の胸像のような絵で、緑色のたてがみにはバラの花束がかけられ、流れるように花が零れ落ちている。中華料理には似つかわしくない絵だと思いながら、その馬の何か優しく悲しげな黒い瞳が心に残る。

 ふと、目の前にまた少女が座っている。
「エリザちゃん、どうしたの?」と聞くと、
「おじちゃん、探している人は見つかった?」と聞く。
「探している人って、誰の事?」
「香ちゃん」と言う。
「それは誰?」
「探してたでしょう?さっき警察署で」
「えっ、もしかして畔倉 香?」
「そうだよ、私知ってるよ」
「どうして知ってるの?」
「前に波止場で見たことあるよ」
「いつ頃?」
「わかんない、でももう随分前だよ。
波止場に来たけど船には乗らずに帰っちゃったよ」

「エリザちゃんは、どうして波止場にいたの。」
「お母さんを待っていたの」
「どうして?」
「お母さんが、帰ってくるまで待ってて、て言ったから」
「お母さんは、帰ってきたの?」
「まだ帰ってこない」
「待ってなくていいの?」

「もう待ちくたびれちゃったから、もういいの」

「でも、一人だと心配だね、お家に帰らなくて大丈夫なの?」

「今はね、麗珠おばちゃんが遊んでくれるからいいの。
おじちゃんは心配しなくもいいよ。大丈夫だから」

餃子とチャーハンが運ばれてきて、食べているうちにエリザちゃんは消えてしまった。


NEXT LIFE  銀座の画廊 10

 お茶を飲みながら、改めて店の中を見回す。天井には一面に大きな絵が描かれている。藍色の夜空に真珠でできた星々がちりばめられ、中心には大きな赤い星がある。赤い星は2重になっていて外側が赤く、中心は黄色くなっていてどちらもその境界が滲んでぼやけている。

 左手奥にドアがあり『宮殿の間』と書かれている。それを見ていると人形のように美しく薄い金髪の巻き毛をしたボーイが近づいて来る。「ご覧になりますか」と言うので「良いのですか」と聞くと、「清原様は御招待客様ですので」と言う。

 いつ招待されたのか変だな、と思いながらも案内されて、ドアを開けてもらう。すると、そこには緑色の絨毯のように短く刈られた草原がなだらかに起伏しながら続き、真っ青な空に金色のまばゆい光が射し、左手にはヒマラヤのように神々しく巨大な雪山の連なりが見え、右手の奥には碧い湖面に太陽の光が反射する、湖と呼ぶには小さな池が見える。

 池の手前にテントがあり、その中にテーブルと椅子が見えた。
高原のように透明な空気の中でその静寂なたたずまいは、この世のものとは思えなかった。そして、その透明感は私にかつて訪れた、勿来の記憶を呼び起こさせた。

 茨城から太平洋岸を車で走り、坂道を登っていくと突然に視界が開ける。右手のはるか下方に断崖絶壁の連なりを見下ろしその先には碧く穏やかな太平洋が見える。関東から、東北へと入った途端に空気が透明度を増す。初めて見たときにはその透明感に驚かされ感動すら覚えたものだ。

 しかし、勿来(なこそ)は、古くから歌にも歌われた勿来の関を連想させ、そこが和人と蝦夷の境界だった言う。勿来は禁止の意味で「来てはならない」という意味だという。蝦夷に対して、そういったのが由来だと聞くが、しかし実際に「勿来の関」が何処にあったのかは確定されていない。その存在すら疑われているという。

 その部屋の透明な空気は私に、幻の勿来の関を連想させる。そして、ここには「来てはならない」のだと思い、招待客だというボーイの声を無視して、私はその店を去ることにした。

 店を一歩出ると同時に携帯が鳴る。会社にかかった電話が転送されているのだ。店の前で立ち止まって電話に出ると、クレーム発生のようである。会社に戻って折り返し電話しますといい、一旦電話を切る。
ふと気が付くと、店の姿はなく、あったはずの通りの角も見えなかった。

NEXT LIFE  ガネーシャ 1

会社に戻って、引っ越しのエイトに電話すると、クレームというのは畔倉の引っ越し先だった。引っ越し先で開梱したところ、ガネーシャの置物が破損していたという。玄関のシューズボックスの上に置いてあったといい、そこを梱包したのは当社のスタッフだったという。

「どうして、当社のスタッフだと分かったのですか?」

「現場の者に確認したのですが、玄関のシューズボックスを梱包したのはウゴルさんのスタッフだったというのです。」

そこへ、携帯にスタッフから電話が入る。「すみません、今スタッフから電話が入りましたので、一寸と待ってください。」

「あ、佐藤さんご苦労様。何か大変だったみたいだけど、大丈夫ですか?」

「はい、私は何も壊してないんですけどね。何か、お客様が私だって仰っているみたいで。」

「ガネーシャの置物みたいだけど、記憶にありますか?」

「いえ、そんな物は無かったと思いますけど。」

「そうですか、わかりました。今エイトさんの担当と話中なので、また状況が分かれば電話しますね。今日は、急な依頼ですみませんでした。ありがとうございました。」

「あ、今担当のスタッフから聞きましたけど、覚えがないみたいですね。まあ、とにかく私が今からお客様のところにお伺いしてみます。はい・・・結果わかればまたご連絡いたしますので、失礼いたします。」

 結局、引っ越し先の府中まで行くことになった。
引っ越し先は2箇所に分かれていた。一つは、府中市紅葉丘で、山名と言うお宅である。もう一つは、府中市白糸台で畔倉慶太の転出先である。

NEXT LIFE  ガネーシャ 2

 壊れたガネーシャが運ばれたのは、紅葉丘のほうだと聞いた。だが、まずは依頼主の畔倉慶太にお詫びし、状況を確認すべきだろうと思い、白糸台へ向かった。

 府中は、随分久しぶりだが、かつてはこの辺りを毎日のように車で走り回っていた。金融会社で働いていた20代の頃は、幾つかのグループに分かれ、どれだけ回収できるかを競っていたものだ。普通の営業会社でいえば、売り上げを競っていたわけであるが、あの時配属された場所では、売り上げではなく、督促し回収する金額を競っていたのだ。

 社会的には非難され、実際に悩むこともあった。だが、一方ではその仕事が面白く、同僚との付き合いも楽しかったし、何より、競争することがまるでゲームでの勝敗を競っているように感じられ、回収金額を増やすことが勝利であり一種の快感だった。

 府中は、中でも狭いエリアに多くの客が密集していて、回収効率の良い場所だったのだ。

 白糸台もその一つだった。思い出されるのは、夏の夜。甲州街道を走り、左手下方に高層マンション群が見えると、真っ暗な中に部屋の窓や通路の明かりが白く光って浮かび上がる様が、まるで蛍の群れのように見え、不思議な美しさを感じたことだ。

 その景色を思い出すと、またすぐある客の記憶へとつながる。その人は、高層マンションの一室に居住しながら、自営で貿易関係の仕事をしていた。部屋の中にも、色々な置物やあるいは織物、トラの毛皮や絨毯など、そして数多くの食器類、陶磁器や銀製品などがあった。

 もちろん初めのうちは、滞納することもなく順調そうに思えた。だが、金取引の詐欺まがいの事件に巻き込まれた頃から様子がおかしくなった。
最後にその人に会った時には、夜逃げの準備をしている最中だった。
既に妻子の姿はなく、部屋中に積まれた段ボールの箱の中に一人でいた。その人は、床に大の字になってひっくり返り、ポツンと呟いた。
「俺はもう駄目だ。」
私は、何も言えなかった。勿論、元気づける言葉はかけたが、夜逃げを止めることはしなかった。死なれるよりは、ましだと思ったのだ。

畔倉慶太の新しい住所は、そのマンションの近くだった。

NEXT LIFE  ガネーシャ 3

 畔倉慶太の新居は3階建ての小さなマンションの2階だった。
1DKの間取りで、以前の住所の荷物の大部分は山名の家に運んだようだ。名刺を渡して挨拶をすると、まずお詫びをした。そして、状況を確認しようとしたのだが、慶太は一方的に話し始めた。

「あれは、母の、いえ祖母から母がもらった唯一の思い出の品なんです。母には、父親がいませんでした。その父親から祖母がもらったプレゼントだったのです。母の父親が誰だったのかは今も分りません。祖母もそのことには何も触れなかったようなのです。その祖母も、早くに亡くなり、母は母方の祖父母に引き取られて育ったんです。」

 一気にそう話すと、慶太は興奮のあまり、目が充血していた。
私は、突然の話についていくことができなかったのだが、型どおりに「そうでしたか、それは大変なご苦労をなさったんですね。お辛いことと思います。」などと、意味も分からず相槌を打った。

 いずれにせよ、その置物が慶太にとって特別な意味を持っているのだということは、理解した。

「そうすると、その置物は、お母様の大事なものだったのですね。」

「はい、そうです。」

 私は、この引っ越しで、特にこのクレームで核心部分だと思われることを尋ねてみた。

「お母様は、今、いらっしゃいますか?」

そして、予想された答えが返ってきた。

「いえ、今はいません。」

「そうですか。そうしますと、その置物は今はどちらにございますか?」

「今は、紅葉丘の祖父母の家です。」

「そうでしたか、お母様は、いつ頃戻られますか?」

「わかりませんが、それが何か関係ありますか?」

 私は、しまった、と思った。つい、余計なことを聞いてしまう。
永年の金融業の癖が出てしまった。
相手の触れてほしくない所を、つい触って見たくなる。
そして、クレームをますますこじらせてしまう。

 畔倉香は、行方不明なのだからそのことを聞いてはいけないのだ。

「いいえ、申し訳ございませんでした。では、これから紅葉丘のお宅へ伺ってみますので、これで失礼致します。またご連絡を差し上げます。」

 畔倉慶太の様子から、このクレームは間違いなくこじれるだろうと予想されて、気が重くなった。

 過去の経験から、思い出の品ほど厄介なものはない。取り替えが効かないのだ。元通りに戻してほしい、と言われるのは目に見えている。だが、たいていの場合、元には戻らない。代替品か商品券になるのだが、思い入れが強いほど、納得されない場合が多い。

ともあれ、置物の状態の確認のため紅葉丘の山名家に向かった。
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Author:gasset
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歴史的事実に改編を加えた妄想小説です。

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